
スピリチュアルな日常
経験はすべて成長に繋がる
現実的な視点から、またはスピリチュアルな視点から、どの様な視点からでも「経験」というものが私達にもたらしてくれる大きな心の成長。
私も今一度、自分自身の経験を振り返りながらお話を進めていきたいと思います。
私はまだ、37年しか生きていない若造です。しかしこの37年間には、私自身が大きく成長するための貴重な経験がたくさん詰まっています。
この世に生を受け、物心がついた頃から私は、「自分」という人間の存在価値がとても薄いのではないかという気持ちをずっと持ち続けていました。
幼少の頃からとても偏屈なところがあり、自分自身の持つ性格や行動のおかげで、周囲の人達から厳しい目を向けられた時期がありました。
4人姉弟の次女として生まれたのですが、私が1歳の誕生日を迎える前には既に妹が誕生していました。
当時、母は私のことよりもさらに小さな妹の方の世話に時間を費やすことが多かった為、私はいつも、自分だけ親から愛情をかけられていないのではないかと感じていました。
そんな訳で、「もっと愛情をそそいでほしい」という寂しさから必要以上に悪さを働き、例え叱られてでも、ひたすら両親に構ってもらおうとしていました(笑)
幼稚園から高校までの間は、集団生活になかなか馴染むことができず、毎日通わなければならないことが本当に苦痛でした。
なぜ通うのが苦痛だっだのかというと、私は昔から、人が放つ感情や思考などの「気」にとても敏感なところがあったからです。
学校などでいつも一緒に過ごしているお友達グループ。
はた目にはとても仲が良さそうに見えるのですが、実際はお互いが良い感情を抱いていないという彼女らの裏の心を察知してしまい、そういう仲間同士の本音を隠した表面ばかりのお付き合いがすごく嫌で、みんなと常に距離をおいて過ごしていました。
そんな 中、クラスの中には必ず1人、とても心が純粋な優しい子がいました。私は助けを求めるかのようにその優しい子にいつもまとわりついていたのを覚えています。
しかし他のお友達は、その子1人を私が独占していると思ったみたいです。結果クラスメイトの子全員からいじめを受けたこともあります。
高校を卒業し就職した後も、人を素直に信じられない疑り深い性格のおかげで様々なトラブルを呼び込んでしまい、それを1つ1つ乗り越えるのに随分な苦労をしてきました。
自分と違う価値観を持つ人に対して、必要以上に攻撃的になってしまったり・・・
身近な人の自殺や事故死に直面し、人の命のはかなさや尊さを、痛いほど考えさせられたこともありました。
最も信頼していた人物に非情な裏切りを受け、人というものをまったく信じることができなくなってしまい、すべての人に対し心を閉ざしてしまったこともあります。
まだまだ話せばキリがありません。現在に至るまでには数え切れないほどの経験を積んできました。
そして、私は最近気 づきました。
自分に降りかかってくる辛く苦しい出来事。これらは全て、私自身の心と魂を成長させるために必要で大切なプロセスである、ということに。
決して自分にとっての「災難」ではないのだ、ということに。
自分の身の周りに起こる様々な出来事に、何ひとつ無駄なことはないのです。なぜなら、この様なたくさんの経験をしたからこそ、私はこんなにも成長することができたからです。
数々の経験があったからこそ私は、同じ思いを抱えるたくさんの人達の気持ちが理解できるようになれたのです。
様々な出来事を謙虚に受け止められる心のゆとりができ、人々との交流を通し、私自身の未熟な部分にも気づくことができました。
他人よりも少しだけ苦労の数が多かったかもしれないけれど、その実体験があったからこそ、今の私がここにいるのだと思っています。
そしてこれらの経験は、私を守ってくださっている神々やガイドスピリット達が与えてくださった1つの試練でもあるような気がしています。
何か辛い出来事に直面した時、ガイドスピリット達が私にこう助言してくれているように感じるのです。
すべては、おのれの身をもって学びなさい
自らの身をもって経験し、もっと人の心を知りなさい
そして、自分自身の力で学び取る手段を身につけなさい
と。
初めて自分の子を産み・育てたとき、私は自分の両親が、姉弟全員平等に愛情を注いでくれていたことを実感しました。なぜなら私自身も今、我が子達に対し同じ気持ちを抱いているからです。
私が幼少の頃に抱いていた両親に対しての寂しさも、実際味わった経験があるからこそ、我が子には絶対に同じような寂しい気持ちにはさせまい、と思うことができるのだと思います。
人類の貧富についても、昔家族で食べていくことに苦しんだ時期があったからこそ、日々おいしい食事が取れることのありがたさや、人と分かち合うことの素晴らしさを知ることができました。
お金は確かに大事。でも人はただ裕福なだけでは幸せに生きていくことはできない。もっと大切にすべきものが沢山ある、という事に気づくことができました。
上記はほんの一例ですが、自分自身がこのように身をもって経験し、その辛さ・苦しさ・喜びを理解していなければ、おそらく周囲の人達に対しても寛大でいることはできないでしょう。
その人の「心」が理解できないのですから。
私は今、自分自身が積んできた経験にとても感謝しています。
そしてこれからも、経験すべきことは限りなくあると思います。
様々な経験を感謝の心で受け取り、良い方向に捉えてますます今後に活かしていければ、と思っています。
今なにか辛い思いを体験している方がいらしたら、そんな時にはまず「自分自身」を信じてあげてください。与えられた試練を前向きかつ謙虚に捉え、それを自身の良いエネルギーに変えてゆく勇気を持ちましょう。
なぜならそれらの出来事は全て、あなた自身に必要な「心と魂」の成長を促すための、大切な大切な経験なのですから。
何事にも、無駄なことはひとつもないのですから (^-^)
(平成20年2月 記)