
スピリチュアルな日常
わが家の家系
今日は特別な写真を公開しちゃいま~す!(*^^*)

上の我が子達が着ている服、何だか分かりますか?
この服は、韓国の「チョゴリ」という民族衣装なんです。
この写真をご覧いただきながら、今日は私の家系についてお話しようと思います。
実は私は、「在日韓国人の3世」です。
この言葉、少々聞き慣れないかもしれませんね。
簡単に説明をさせていただくと、在日韓国人とは、先祖代々韓国人の血を引きながらも、日本で生まれ育っている私達のような家系のことを言います。
私の祖父・祖母が戦争当時に日本へ渡来し、その後韓国へ帰ることがないまま日本で永住するようになり、戦争の真っ只中に私の父と母が生まれ、その後私達の世代が生まれました。
韓国の血を引いているとはいえ私は日本で生まれ育っているので、残念ながら母国語である韓国語はほとんど話すことができません。そして韓国人であるとはいえ、見た目は日本人と変わりません。
しかし日本で生まれ育ち、日本人と変わらぬように過ごしていても1つだけ違うものがあります。
それは「国籍」です。
この国籍の違いの為に、私達一族は祖父の時代から様々な差別を受けて生きてきました。もちろんその差別は現在でもまだ色々な形で残っています。
中でも大きく取り上げられるのは、在日韓国人には国民権限が与えられないことや、外国人登録証という証明書がないと日本に永住することができないなど、日本人の方々と同じような日常生活を送ることが許されていない部分が多々あります。
また、目に見えない部分においても、まだまだ多くの差別が根深く存在しているというのが事実です。
私達家族は、国籍が違うことによって発生する仕事上の困難や、周囲からの厳しい待遇などに多くの苦労を強いられてきました。
そして、この地で生きていくために変えざるを得ない状況になり、大変な手続きを長年にかけて行い「帰化」という形をとって日本の国籍を取得しました。
ですので私達家族は現在、形式上の「日本人」となりました。
・・・現在は韓国も、日本にとって随分とメジャーな国になりましたよね。
あのドラマで有名な「ヨン様」の登場から始まって、瞬く間に韓流ブームが起こり、日本の芸能人も積極的に韓国との交流をはかったりと、日本と韓国との距離は以前に比べたら驚くほど縮まってきていると思います。
私達在日韓国人の3世は、多少の差別は存在したものの、日本において比較的住みづらさを感じることなく現在に至っています。
一番苦労をしたのは、私達の祖父・祖母、そして父・母の世代だと思います。戦争中日本へ渡来することを余儀なくされ、多くの日本人から「韓国人は汚い」というレッテルを貼られました。
「事実を知ることは大事だから」と、父が一度、私に話してくれたことがあります。
父や母が子どもだった頃、学校へ行くと決まって生徒達から「お前はキムチ臭いから近寄るな」というとても切ない言動をされ、辛い思いをよくしたそうです。韓国人という事実を、随分とののしられたこともあったそうです。
今では多くの日本人達が、当たり前のようにキムチを食べる時代になりましたけどね (*^^*)
だからと言って私の両親は、日本人を責めるような言動は1度もしたことがありません。この地で、日本の方達と上手に調和を取りながら懸命に生きてきました。
私達3世は、幼少の頃から自分が韓国人であることをきちんと理解していました。
私の両親はどんな時でも、「自分が韓国人である」ということを何1つ恥じることなく、日本の伝統を大事にしながらも、同時に韓国の風習も大切にして生きてきました。
祖父・祖母が生きていた頃には、家では普通に韓国語が飛び交っていましたし、キムチも、当たり前に毎日食卓に並んでいました。
身内の結婚式などでは、皆が普通にチョゴリを着て集まります。
また韓国では、法事をすべて自宅で行います。お盆や亡くなったご先祖の供養等も、すべて自宅で法事用の料理を沢山作り卓上に並べて行ないます。韓国ではこの行事を「チェサ」と言います。
ご先祖を敬い・感謝する儀式です。
私達は、自分の両親や身内が行なうチェサを幼い頃から一緒にやってきました。もちろん、その風習は今でも両親の手によって大切に行われています。
話が少し戻りますが、比較的住みづらさを感じることなく現在に至っている私達3世も、まったくの苦労をせずに今日を向かえたわけではありません。小学校の頃には、韓国人ということがクラスメイトに知られるとやはり様々なことを言われました。
また、からかわれた時などに、私が悔しさをこらえきれず相手の子にはむかうと、石を思いっきり投げられ怪我をしたこともありました。
16歳になると市役所まで連れて行かれ、「指紋押捺」という手続きを行なわないと日本に永住することができません。
指紋押捺は、正直気持ちのいいものではありませんでした。とても狭い囲いの中へと案内され、なぜか隠れるようにしてコソコソと手続きをしなければな らないのです。
気分は・・・そう、まるで自分が犯罪者にでもなってしまったかのような感覚です。そしてその証明書を常に持ち歩きすぐ提示できる状態にしておなかいと、不法滞在という扱いになり強制送還されてしまう場合もあるそうです。
しかしその後、「指紋押捺のやり方に納得がいかない」と多くの非難が寄せられ、現在では手続きの方法が随分と改正されたそうです。
私の妹は、自分が韓国人だという事実にとても苦しんでいました。
妹が韓国人だということをまったく知らない、妹の友人達が、「韓国人って汚いよね~」「韓国人って犯罪者が多いよね~」という言動をしてしまったことで妹の心は傷ついてしまい・・・
「もし自分が韓国人であることを知られたら、みんな私から離れていってしまうかもしれない」と、常に不安を抱えながら周囲の友人達とお付き合いをしていました。
そんな妹に日本人の彼氏ができ、お互いに結婚を考えるまでの関係になった時、やはりここでも真実を告げる勇気がなかなか持てず、告げたら自分のもとから去っていってしまうのではないかと随分悩んだようです。
日本人と見た目はまったく変わらないのに、国籍が1つ違うというだけで、私達は戸籍の問題や様々な難関をくぐり抜けなければならないのです。
しかし幸いなことに、妹の彼氏はこの事実をまったく気にすることなく温かく受け止めてくれ、2人はめでたく結婚し、現在は家族も増えとても仲良く過ごしています。
自分が韓国人だということを1度も嫌だと思ったことのなかった私は、不安がる妹によくこう言っていました。
韓国人の何が悪いっていうの?国籍が違ったって同じ人間じゃない!
韓国人だと知って去って行くような人達なら、こっちから先に別れてやりなよ。そんな事で離れていくような人達は、あんたの中身をちゃんと見てない証拠だよ!
と。
そうなんですよね。みんな、同じ「人間」なんです。
国籍が違えど、私達はみな同じ人間です。
「地球」という、1つの素晴らしい星で生命を共にしている、同じ人間なのです。
国籍や言葉・肌の色など大した違いではないのです。
元を辿れば私達はみな、同じふるさとからやって来た「ソウルメイト」です。人を国籍などで区別したり、争う必要などこれぽっちもないのです。
様々な事情によって我が家は形式上日本人となりましたが、私は生きていく上で、国籍の種類など大して重要なことではないと感じます。
私は自分が韓国人として生まれてきたことに大きな誇りは持っていますが、それと同時に、今私が住んでいる、この日本という国も本当に大好きです。
様々な差別によって多少の苦い経験があったにせよ、それを憎いと思ったことは1度もありません。
「あの国には犯罪者が多い」という人も中にはいます。私は、それは違うと思います。犯罪者はどこの国にでもいます。「あの国の人間だから、悪い事ばかりをする」ということはないのです。
差別の問題は様々な形で、あらゆる国において今もなお深刻な状況にあると思います。しかしながら現在は、1人1人の意識が、以前よりは差別的な考え方を改めようとしているようにも感じられます。
たくさんの形式ばった差別により、その国の国籍を取得しなければそこに住みづらい環境になってしまうだとか、「あそこ国の人間だから」という固定観念を取り外し、どこの国ででも、安心して様々な国籍の人達が共存できるような、それぞれの国が温かい心を持ってほしいな、と思います。
それぞれの国の風習やその国の素晴らしい伝統をそのままに、心の国境をこえて生きていけるような、そんな穏やかな世の中になることを願っています。
それでは、最後に・・・
人類、みな兄弟! (昔テレビでやってましたよね。笑)
(平成20年7月 記)