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スピリチュアルな日常

​「許す」ということ 後編

その日私は、Aさんに怒られたくないという恐怖心から、人としてあるまじき行動をとってしまったのです。


・・・実は私、見つかった例の書類を、「Aさんの目に触れないように」と小さく丸め、ゴミ箱の中に捨ててしまいました。


つまり、証拠を隠滅しようとしてしまったのです。



私が捨ててしまったこの書類は、上司から印鑑をもらい社内の職員全員に回覧しなければならない、とても重要なものでした。


しかしその時の私は、仕事に対する責任感どころか、今起こっている現実に対しての「逃避願望」しか頭になかったのです。


自分自身の失敗を認め冷静に行動する判断能力と、物事に謙虚に向き合う心の強さが欠けていたのだと思います。

結局その後、あちこち探し回っていたAさんに、ゴミ箱の中に捨てたクシャクシャの書類を発見されてしまい、上司に報告がいった後、役員会議を開くほどの一大事になってしまいました。




当時私がお付き合いをしていた、同じ職場の彼氏もこの騒然とした状況を目の前で見ていました。彼はとっても優秀でまっすぐな生き方をしている人だったので、私が起こしたこの不可解な行動にすごく驚いたことでしょう。


私は自分がやってしまったことへの強い後悔の気持ちと同時に、(みんな私のことを軽蔑しているに違いない)という思いで頭がいっぱいになり、激しく落ち込んでいました。

こんな事をしてしまった私は、誰からも信用されなくなってしまうだろう。

会社だって、解雇されてしまうかもしれない。

と・・・



書類が見つかってから数十分後、私の前に支店長を含めた上司が全員並び、役員会議が始まりました。


上司達は非常に深刻な表情で「あなたは、自分が何をしたのか分かっているね。この行為は簡単に見逃せる問題ではない。明日あなたの処分を報告するから」と言うと、私は仕事場へ戻されました。

その日1日、私は職場で生きた心地がしませんでした。


仕事が終わった帰り道、私はただただ、自分自身がやってしまったことへの悔しさで1人涙しながら無気力に歩いていました。


「明日、どんな顔をして会社に行ったらいいのだろうか・・・」と、不安と恐怖で心が押しつぶされそうでした。

​​

すると突然後ろから、同じ職場の彼氏が私に声をかけてきたのです。

私はその時とっさに、「彼に別れを告げられてしまう」と思いました。


しかし、彼の口から出た言葉は、私が想像していた内容とは全く違うものでした。


はっきり言って、お前がやってしまった事は、人としていい事とは言えない。

ただ、間違いを犯してしまったんなら、次は絶対に同じ間違いをしなければいい。

気持ちをしっかりと切り替えて、これからまた頑張ればいいじゃないか。

と・・・

彼からの意外なひと言にビックリしたのと同時に、彼がくれたひと言のおかげで、私の心はどれだけ救われたことでしょうか。


そしてこの時、私は思いました。

やってしまった事にクヨクヨ悩んでいるだけでは何も解決しない。

心から反省して、どんな処罰を受けようとも、現実をしっかり受け止めて謙虚にやりなおそう。

​​



翌日、私は意を決して職場へ向かいました。私の心の中に、それまでの様々な迷いはもうありませんでした。


上司たちが集まり、私を含めて2度目の役員会議が開かれました。私は今回の事件に関する処罰をありのままに受け止める覚悟をしていました。

・・・するとどうでしょう。

ここでもまた、上司達から意外なお言葉をいただいたのです。


今朝、あなたが出社してきた時の顔を見て、私達は確信したよ。

今回の出来事について深く反省もしているようだし、これから前向きに頑張ろうという意志が伝わってくるから、もう大丈夫だろう。

あなたの日頃の努力をみんな知っているから、ここで頑張っていきなさい。​


私が驚いたのはそれだけではありませんでした。


この日、上司や彼だけでなく、職場にいらっしゃる方達全員が私を責めることをせずに温かく迎え入れてくれたのです。大きな間違いを犯してしまった私を優しく受け入れ、そして許してくれたのです。


もう一度この場所でやり直すチャンスを、職場の皆さんが与えてくれました。

皆さんからのご配慮のおかげで、私は例の事件に関しての処罰を受けることなく、その後も同じ職場で働き続けることができました。


A先輩は、私への処分が何もなかったことに納得がいかなかったようでしたが、この事件の後、A先輩もまた自分の私情を仕事場にまで持ち込み、私に厳しすぎるがゆえに招いた出来事だと上司から指摘されたようで、それからは私に対して必要以上に厳しく叱ることはなくなりました。



​​

・・・以上が、私が若かりし頃に体験したチョッピリ苦い思い出です (*^^*)

あの時、状況を悪化させるような事態を招いてしまった1番の原因は、いけない事と分かっていながらそれを行動に移してしまった、私自身の「心の弱さ」だったのだと思います。


私がやってしまったことは、人としての信頼を大きく失ってしまうような、本当に浅はかな行動であったと痛感しています。


しかしあの時職場の皆さんは、私への信頼を失ってしまったにもかかわらず、大きな心で私の間違いを許してくださいました。


「間違いを犯した相手を許す」って、なかなか簡単にできることではないと思います。なぜなら、被害をこうむった方は当然相手を信用できなくなってしまうし、心に大きな傷を負ってしまうから・・・

実は私自身も昔、とても信頼している人からひどい裏切り行為を受け、簡単には立ち直れない大きな心の傷を負ってしまったことがあります。


私を傷つけたその相手は、自分の間違いに気づいて謝罪をしてくれましたが、私はそれ以来その人の事すべてをまったく信じることができなくなってしまい、裏切られた事実をなかなか許すことができずに何年も葛藤し苦しんだ経験があります。



だけど私は、数々の経験を通してとても大切なことに気づくことができました。


もし誰かが過ちを犯してしまったとして、自分の心を激しく傷つけられることがあったとしても、その相手をいつまでも憎んだり戒め続けるネガティブな心からは、何もいいものは生まれないって。


被害を受けたほうは当然傷つき・苦しみますが、それと同時に、実は間違いを犯してしまった方もまた後悔し・傷つき・苦しむのだという事実を、私は自分自身が問題の当事者になることで身をもって経験しました。


相手と同じ立場になって経験することで、初めて気づけることってあるのですよね。


この経験があったおかげで私は、私を裏切った相手に対し心の整理をする時間は随分とかかりましたが、相手の人もまた後悔や苦しみを抱えて生きているのだと理解できるようになり、最終的には相手を許すことができるようになり、お互いの関係を修復することができました。



私達は、日頃の行いや日々の努力の積み重ねによって、人との信頼関係をコツコツと築きあげていきます。しかし、どんな人間だって完璧ではありません。


多少の度合いがあるとは言え、失敗や間違いをまったくしない人なんてきっとこの世にはいませんよね。

それなのに私達は、周囲の誰かが間違いを犯してしまったとき、それがたった一度の間違いであったとしても、その人が頑張って積み重ねてきた経験や人格すべてを否定してしまうことってあるような気がします。



相手の非ばかり責めることを考えるのではなく、状況を冷静に判断し、相手が心を入れ替えてやり直せるのならそのチャンスをもう一度与えてあげ、見守っていけるような人間になっていけたらいいなと私は思いました。


あの時、職場の皆さんが私にそうしてくれたように。



そして1つ思いました。

「許す」という心とは、相手に対する深い「愛情」なのではないかな、と。


(平成21年5月 記)


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