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スピリチュアルな日常

​「命」について考える

今回のお話ではまず、数年前に、あるテレビ番組で報道されていたニュースの内容を紹介させていただこうと思います。

場所は日本です。

現代の高校生の、「携帯電話事情」についての特集でした。


最近道行く高校生や、幼い子どもを連れた親までもが、周囲を気にもせず歩きながらひたすら携帯をいじっている現代。ある報道番組が統計を取ったところ、高校生が1日にメールを打つ回数は、実に100件を超えるそうです。

そんな携帯のやりとりで、今高校生の間では、メールを相手に送る際必ず守らなくてはならない、いくつかの「ルール」があるそうなのです。

 

●ルール1

 友達からメールを受けたら、即座に返事を打ち返さなくてはならない。 

(返事をすぐ出さないと、次の日から無視されることがあるそうです)


●ルール2

 絵文字でメールが来た場合、必ず絵文字で返事を打ち返す。 

(返事を絵文字で返さないと、相手に怒っていると思われるそうです)


●ルール2

 返事に「うん」「頑張れ」という単調な言葉を入れてはならない。

 

このようなルールが存在する自体、私にとっては信じられない事実なのですが、さらに、学校においても携帯による様々な問題が起きているそうです。

その報道内容によると、ある計画を思いついた学生が、授業中先生に見つからないようコソコソと1人の生徒を除くクラス全員に一括メールを送り、授業が終わったと同時にターゲットにされた生徒がクラス全員に無視されるようになっていた。


また学校を休んでいる生徒に対し、クラスの生徒全員で「お前の席はもうない」「学校に来るな」「お前はいらない」などという、人の心を無視したようなあまりにも非情なメールを送りつけるのだそうです。


こういった非情ないじめを受け、辛さのあまりに自殺を考える子、そして実際に実行してしまう子もいるそうです。


私はこのニュースを見た後、しばらくの間愕然としてしまいました。日本という、こんなにも環境の整った平和な国で、なぜこのような寂しい出来事が起こってしまうのでしょうか。


まずひとつの原因としては、現代の若者達は、1人1人の「心」や「命」というものの尊さを真剣に捉えていない、という事が挙げられるのではないでしょうか。


また、親や周囲との愛情豊かなコミュニケーションの場が極端に少なくなり、心が乏しい状態になっている子ども達が増えてきているようにも感じられます。

そして、人とじかに触れ合って交流を深めていくのではなく、携帯やネットなど、常に機械を通してのやり取りが主流になってきている事。


そうなると当然、お互いが直接顔を合わせることがなくなりますから、相手の気持ちや状況を察する事ができません。


相手がその場にいたら決して言わないような事でも、相手が目の前にいなければ、平気で心を傷つけることもできてしまうわけです。



上記は、若者達の現状を取りあげた、日本で起きている様々な問題のごく一部をご紹介したにすぎません。最近テレビの報道を見ていると、人を人と思わないような残虐犯罪などが目立つようになってきています。




今のお話を前提として、もう1つ皆さまにご紹介したいお話があります。

これも随分と前の事になりますが、某テレビ局で3夜連続放送の、「命の輝き」という番組が放送されていました。

特集のターゲットは「貧困に苦しむ国の人々」「悲惨な地で手助けをしている現地の日本人」「難病と戦いながら、必死に生きようとしている人達」


その番組では、貧困にあえぐ様々な国の人達の現状をリアルに取り上げ、「命の尊さ」について改めて真剣に考えなくてはと痛感させられるような、人1人の命をとても大切に捉えた内容でした。


放送の中でも特に印象深かったのは、国そのものの経済事情や環境により、病にかかってもその病を治療するための充実した医療がなく、薬さえも手に取ることができない人々が大勢いるということ。


そして食事もろくに取ることができずに、日本ではあり得ない「飢え」によって亡くなってしまう人達が圧倒的に多いこと。

しかも、ひと言で「病気」と言っても、その国の人達が侵されてしまう病は、薬や手術などで簡単に治せるようなものではありません。

そうです。「エイズ」です。

それは日本で暮らす私達のように、自らの性行為によってこのような病気にかかるのではなく、その地の環境そのものから、当たり前のように病魔に侵されてしまうのです。(性行為以外の理由から感染してしまった方々もいらっしゃると思いますが、ここではあえてこのような表現をさせていただきました。何卒ご了承ください)

そしてエイズにかかっている母親からは、当然同じ病を持った子どもが生まれてくる確立が高くなります。子ども達はこの世に生を受けたその瞬間から、とても大きなリスクを抱えて生まれてくるのです。


生まれてくる子ども達には、何の罪もないというのに・・・


他にも、先進国に住んでいる私達には想像もつかないような、恐ろしい病が数々存在しているそうです。


これらの様々な病気や飢餓によって両親を早くに亡くしてしまい、わずか2歳の小さな幼児でさえ、自分自身が持っている大きな病と真剣に向き合い・闘いながら、1日1日を必死に生きているのです。

日本にあるような、便利な機械などひとつもありません。時にはあまりの貧困に、愛しい我が子を手放さなくてはならない事もあるそうです(施設に預ける等)


私達の国で起こっているような、子どもは産んだものの自身の都合で育てきれずに我が子を手放すのではありません。我が子を手放さないと、自らも生きていけないのです。



それでも彼らは「今」を生きるために、1つの命を決して軽く見ることはしません。毎日をただただ一生懸命生きているのです。


朝起きたときまだこの世で生きている。ちゃんと息をしている。

それだけで彼らは幸せなのです。


・・・私は、テレビを見ながら考えていました。


こんなにも辛い・過酷な環境で生きている人達。

そしてこんなにもありがたい、整った環境で生きている私。


どの国に生まれたとしても、同じように人として生を受け、この世で成し遂げるべき素晴らしい使命を持っているはずなのに、この人達は、人生の使命をまっとうする事もできずにこの世を去っていくだろうか。


それとも、あえてその様な生き方をすることが、生まれてくるときに自らが選んだ今生での使命なのだろうか・・・


健康で整った環境があるにもかかわらず、自ら進んで命を絶とうとする人達がいるのとは裏腹に、健康な体も持てず、環境も好ましくない地で毎日を必死になって生きている人達がいる。


本人が生きることを望んでも、それが叶わない辛く過酷な状況に置かれた人々がいる。同じ人間であるのに、なぜこんなにも、生きるスタイルに差が生じてしまうのでしょうか・・・?


・・・私達人間は、持って生まれた環境を簡単に変えることはできません。その生まれた地に、順応していくしかないのです。

この、恵まれた地に生まれて来たことが自分自身の宿命であるのなら、こんなにもありがたい環境に生まれて来ることができた私達は、その恵みを日々感謝の心で受け入れ、1日1日を無駄にせず大切に生きること。


人との交流を喜び、相手を慈しむこと。

決して、このありがたい環境を「当たり前」だと思ってはいけないのですよね。


テレビに映っていた彼らの姿。あんなに過酷な環境で生きているのに、なぜか彼らの「瞳」はとても澄んでいて綺麗なのです。


彼らの「笑顔」は、とても輝いていて素敵なのです。


周囲の人達や自分の愛する家族をいたわり合いながら、互いの心を大切にして生きている彼らの姿を見た時、彼らの中に、人としての「真の美しさ」を感じました。


そして、改めて「生きること」の大切さを学ばせていただいたような気がします。


発展先進国に住む私達は、便利で豊かな環境に恵まれすぎているがゆえに、いつしか命あるものの尊さや、人として一番大切な「心」を、どこかに置き忘れてしまっているように感じます。


恵まれすぎた環境の中で、私も含めて生きていくための本当の苦労を知らない人達がいかに多いことか・・・

そして、こう思いました。


たとえ恵まれた環境が整っていようとも、心が満たされずに「自分は不幸だ」と思う人もいれば、どんなに貧困や病が苦しくとも、「自分はこの世に生きているだけで幸せだ」と思う人もいる。


我々人類が、何を持って「幸か不幸」かを判断するのかは、その人自身の「心のあり方」次第なのかもしれないな、と・・・



最後に・・・


どうか、このありがたい環境で生きていることに感謝の心を持ってください。

どうか、人をいたわることのできる、心の温かい人になってください。

どうか、生きることに一生懸命な人達がいることを、忘れないでください。


そしてどうか、自分自身の「命」を愛し、大切にしてあげてください。


(平成20年8月 記)


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