
あなたの個性はママの宝物
21 フリースクールという選択肢 長男くんの場合 2

体の不調によって通学できなくなってしまった長男君のために、彼が安心して過ごせる新たな教育の場を探そうと、何日もかけて、それこそ穴が開きそうなくらいに (笑) 毎日パソコンとにらめっこをし、ついに「フリースクール」という、不登校児を抱える家族にとっては大きな希望が持てる学びの場を発見することができました。
ひと言でフリースクールとは言っても、各所に存在するそれらの施設は個人からNPO団体まで様々な人や団体が個々に経営しており、近年圧倒的に増え続けている、路頭にさまよう不登校児を1人でも多く救うべく、一般の有志の方達がこのような施設を立ち上げ、悩める子ども達のために日々力を注いでくださ っています。
またフリースクールは、施設によって
◆勉強を主体とするのではなく「心の居場所づくり」を重要視するアットホームな所
◆最終的に学校復帰を目指し、居場所づくりと同時に授業も取り組める学校に近い所
などなど、各施設によって様々な形態があり、不登校になった背景やその子自身の個性に合わせて適した場所を選び、入学させていただくという感じです。
長男君の症状から考えると、学校復帰よりもまずは家庭以外での居場所づくりをメインに考え、日によっては体調不良でなかなか動けないこともあるので、できる限り自宅から楽に通える距離&アットホームなスクールに的を絞って探すことにしました。
わが家が住んでいる地域周辺を中心にネットで検索をしてみると、大変ありがたいことに、家から徒歩で15分ほどの所に、希望にぴったりなフリースクールが存在していることを発見し早速電話で問い合わせをしてみました。
「この子に少しでも明るい道が開けるといいんだけどな・・・」と、内心大きな不安を抱えながらそのスクールに連絡を入れると、運営者である学長先生が電話口に出てくださり、事情を話すと快く長男君のスクール見学を承諾してくださいました。
・・・ここでチョッピリ暴露してしまいますが、私は当初、日本の義務教育のあり方に大きな疑問を感じることが何度もありました(今でも感じているんですけどね。笑)
長男君の長期休学の件で学校へご相談に伺った際、先生方に言われて胸に一番突き刺さったのは、「学校に来れない間は、自分自身で勉強する方法を見つけて自力で授業に追いつけるようにしてください。一度遅れた授業は学校では教えられません」という、とっても寂しいひと言でした。
長男君は不登校になる前、学校へはもちろんのこと、学習塾へも毎日楽しく元気に通っていました。しかし、本人も予想すらしていなかったある日突然の体調悪化によって、学校へも・塾へもまったく通うことができなくなってしまいました。
彼はその時に、学ぶ場所・学ぶ術を一度すべて失ってしまったのです。まるで高い崖の上からいきなり突き落とされてしまったような、言葉ではうまく言い表せない複雑な思いを彼はたくさん抱えていたのではないかと思います。
自宅で追いつけるようにって・・・、何教科も何冊もあるぶ厚い教科書の内容を、休んでいる間教えてくれる人もいない中、はたして自分自身の力だけで学んでいくことができるのでしょうか?
学校に通わなければ教育を受けられない?
学校を休んだら、遅れた授業は一切教えてもらえないって・・・おかしくない?
学校に行かないと、教えてもらう権利すらなくなっちゃうわけ?
それってさ、そもそも何のために存在している教育なのよ?
ひとりの力じゃ学べないから義務教育や無償教育ってもんがあるんじゃないの?
教育を受けるためには通学が必須だって世の中みんな口を揃えて言うけど、
世の中の子どもすべてが、何の問題もなく通学できるって保証はどこにもないんだよ。
現にうちの子だってそう。決して甘えや怠けで不登校になったわけではないのに・・・
こんなにあっさり学校から放り出されちゃって、頼れるところもなくて
これからどうすりゃいいんだよ。
あんたらはうちら親子に路頭に迷えと言うんかい!
日本が考える、子どものための義務教育っていったい何なんだよーーー!!
って、ホントに毎日憤りを感じていましたよ(上記、当時抱いていた心の叫び。笑)
そりゃあ何度も何度も、切ない思いをしました。
9年間の義務教育が必須だっていうんなら、通学できないこの子達のために、もっと柔軟な受け皿を用意してくれたっていいじゃないかーーー!ってね。
・・・ふぅ。
愚痴をこぼすのは好きじゃないのでこれまで封印してたんですけど、胸の奥に溜めていたものをぶちまけたらチョッピリすっきりしました~(笑)
現在、日本には「不登校」という名の教育難民が10数万人も存在しています。
日々流れていくぎっしりと詰め込まれた多忙スケジュールの中で、学校側が、遅れを取ってしまった一部の生徒とじっくり時間をかけて向き合うのが難しいことくらい、不登校の当事者達も十分理解はしているんです。
でもね、「学校のシステムだから」「少数派だから」という組織独特の理由で、この時期に必要な教育全般について不登校の子ども達が何のサポートも受けられないっていうのは、私は少し違う気がする。それって、子ども達のその後の人生を大きく左右する非常に重大な問題なんじゃないのかなぁって思うんです。
これは余談ですが、現在発行されている学校で使用する教育向けの教科書は、一昔前の作りとは違い教科書の中には学ぶべき内容の説明文が掲載されていないことを皆さんはご存知でしたか?
すでにご存じの親御さんもいらっしゃるかと思いますが、今の教科書って、学校に行って先生から直接説明を受けないと子ども達が理解できないように構成されているんですよね。この事実を初めて知った時、正直私はかなり驚きました。
子ども達が家で宿題をしていて問題が良く分からない時、「ママ、これってどうやるの?」と聞かれて、「それくらい教科書見て自分でやってみなさい」と言葉を返すことってよくありませんか?
でもね、その肝心の教科書に必要事項が載ってないんです。だから家で自主学習をする場合、大前提として学校で先生の説明をちゃんと聞きそれをしっかりと頭に叩き込んでおかないと、子ども達がいくら教科書を開いてもチンプンカンプンになってしまうわけです。
この仕組みは、子ども達が自身の力で考えて答えを出せるようにとの意向から成されたものらしいのですが、これって不登校の子に限らず、極端に言ってしまうと学校を仮に1日休んでしまっただけでも、その日に習う授業を先生から教えてもらえなければアウトですよね(汗)
大抵の学校は、内容が分からないからと言って後から個人的には教えてくださらないですからね。習うことができなかった&理解できない部分に関しては、各々で塾に通うか家庭教師を雇うなどして補うしか方法がありません。
学校に通うことでしか教えていただけない授業。自主勉強できる構成がなされていない教科書。そして、学校の学習についていけない子に関しては一切の責任を負えませんって・・・
子どものための義務教育。
その本質っていったい何なんだろう・・・と考えてしまうのは私だけでしょうか。
これらの教育体質について、日本の定義する義務教育というものがもっと柔軟なシステムによって機能できていたなら、こんなにも多くの不登校児が生みだされることはないと思いますし、学習に関しても、補助のためにわざわざ塾や家庭教師を頼る必要なんてなくなるのにな、と思います。
そもそも塾や家庭教師というのは、学校の理解できない授業に追いつくためにすがるものではなくて、受験準備や学校の学習に対する強化を目的とする子ども達が、より有意義に活用するためのものであってほしい。
ところが、上記のような教育の現状が大きく影響しているのでしょうか、現代では学校で学ぶことよりも、塾や家庭教師の方に重点をおいて我が子に学習をさせているご家庭も少なくないようです。
時代の流れと共に、学校の存在意義が奇妙な形へと変化してきているように感じます。
と、話がチョッピリそれてしまいましたが・・・
そのような様々な経緯があり、わが家では、結果的に長男君の学校復帰が難しいのであれば、本人が今後笑顔で楽しく過ごせるような新しい学びの場を作ってあげるのが最善ではないか、という流れになったのです。
フリースクールの学長先生に見学の日程を調整していただき、後日私達親子は早速足を運び、スクール内を見学させていただいた後、長男君が置かれている状況を詳しく説明させて いただくと、学長は私達親子の存在を無条件かつ温かい心をもって受け入れてくださり、「これからは安心してここに来るといいよ」と、包み込むような笑顔で息子に話をしてくださいました。
長男君自身もスクールのアットホームな雰囲気がとても気に入ったようで、「体調に無理のない範囲で少しずつ通ってみようかな」と、とっても前向きな返事を返してくれました。
少々生々しい話になりますが、フリースクールとは個人や NPO 団体などが個々で運営しているため、義務教育校としては国から認可を受けることができません。そのためスクールへの入学を希望する場合には、もともと通学していた小・中学校に籍だけを残したままの状態で、あくまでも学校教育の補助的な存在としてお世話になる形となります。
義務教育認定校ではないので、当然のことながら無償で教育を受けられる国や地域からのサポートはなく、スクールへの入学費やその後かかる費用もすべて各々のご家庭で用意しなければなりません。
フリースクールでお世話になることが決まると、あえてかかる必要のない莫大な経費がかかってしまうことになります。正直なところ、子育て世代の家庭にとって予定外の急な出費は生活に関わるとても大きな問題ですよね。わが家ももちろん3人の子育て真っ最中ですから、決して他人事とは言えません。汗
だけどね、私はそんなことよりも、自分自身に課せられた厳しい現実と一生懸命戦っている長男君と毎日向き合っているうちに、私が今親として、一番大切にしなきゃいけないものは何なのかってことに気づくことができたんですよね。
大事なのは、親としての立場(世間体)や都合(お金とか)じゃなくて、何よりも「わが子の不安を和らげ、身も心も、より安定した日々を過ごさせてあげること」なんだよなって。
わが子の将来を冷静な目で見据えたとき、心身ともに極限まで無理をさせて、いくら努力をしても追いつけない場所にずっと留まらせておくよりも、彼にとっての新境地を開拓することで今後の明るい人生への着実な一歩に繋がっていくのであれば、これらの出費が無駄になることは絶対にないって。
体の疾患だって長男君にとっては、大切な・大切な、自分の個性の一部なんです。
学校という様々なルールに縛られた集団社会の中で、そんな彼の個性を受け入れてもらえないのであれば、そして彼自身が、その場所で自分の個性を活かしきれず苦しんでしまっているのであれば、もっと自分の心身を大切にできる場所を、じっくりと・時間をかけて一緒に見つけていってあげればいいんじゃないかなって。
そんなわけで、彼が不登校になってから約一年後。
本人の前向きな意志もあって、地道なフリースクール通いが始まりました。
(平成28年5月27日 記)
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