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あなたの個性はママの宝物

20 フリースクールという選択肢 長男くんの場合 1

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今から4年前。

思いもよらぬ形で長男君に襲いかかってきた「起立性低血圧症」という体の疾患。それによって彼は、中学1年の2学期から3年生卒業までの約2年半、学校に行くことができない不登校児になってしまいました。

体調を崩し始めてから間もなく、充実していた学校生活を送ることが徐々にできなくなっていき、「行きたいのに体が辛くて行けない」という深刻な悩みを抱えた長男君は毎日様々な葛藤を繰り返し・・・


いつしか長男君の心は、「学校に行けない自分は世間の落ちこぼれ。生きている価値が見出せない」と、事あるごとに自分に自信をなくし、良好だった精神状態までもがどんどん不安定になっていきました。


 

長男君が不登校になった詳しい経緯については、下記タイトルをご一読ください

7 長男くんの個性 起立性低血圧症 1

8 長男くんの個性 起立性低血圧症 2

 

長男君が発した「生きている価値が見出せない」って言葉・・・私は当時、彼が訴えたこの言葉の意味を非常に重く受け止めました。


もし仮に、わが子から突然こんな言葉を聞かされたらどのように受け止めますか?

一概には言えませんが、「それくらいで弱音を吐くな」とか、「たいした年月も生きてないのに人生分かったようなこと言うな」と、はね返してしまう親御さんも多いのではないでしょうか?


だけどね、私はその時ふとこう思ったのです。

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小・中学生頃の成長段階において、各家庭での環境やそれに関わる親子関係作りも大変重要だと思いますが、中でも、日常生活で子ども達に大きな影響を与えているのって、実は「学校」なんですよね。

集団社会の場で過ごすことによって少しずつ親離れし、様々な経験を通して1個人としての存在を確立していく。子ども達にとってはその土台となる学校が家で過ごす時間よりもはるかに濃厚なわけで、あらゆる意味で子どもにとっての重要な場所であることは確かです。

また日本においては、義務教育として毎日通学し学校で教育を受けるのが通常とされており、私達親自身も「何があっても学校に行くべきだ」という固定観念にとらわれている傾向が強いです。



上記のような教育に関する様々な背景が存在し、育てられてきた環境の中でそういった固定観念を植えつけられてきた子ども達からしてみると、おそらく「学校で過ごしている自分」が、「生きている価値そのもの」になってしまっているのではないかと思うのです。

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そのような状況下、何かしらの理由でわが子が突如学校に通えなくなってしまったとしましょう。子ども達は人生の中心的存在である、大切な時間や空間を一気に失ってしまうことになるんですよね。​


自分の行き場(生きる価値)がなくなってしまうのですから、心が苦しくなるのは当然のことだと思います。

「通学するのが常識だ」という風潮が強い世の中で、「世の中の常識すらまともにできない上に、親や学校に心配をかけている」と本人が感じてしまえば、そりゃあ自己否定だってしたくなりますよね。


行けなくなってしまったのは、子どものあり方に問題があったわけではないのに・・・

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学校を長期欠席するようになってから数か月。体調も毎日すぐれず、家の中に閉じこもりっきりになってしまった長男君。


​彼が患っている「起立性低血圧症」は、人間の神経機能の中心を司る自律神経(交感神経と副交感神経)が逆に働いてしまうという非常に厄介な特性を持っているため、当時、夜はまったく眠れず朝方になってやっと眠気が襲ってくるという、完全に昼夜逆転した生活を強いられていました。


朝からやっと眠りにつき、起きてくるのはいつも昼過ぎてから。しかも、眠りから覚めて起き上がろうとすると血流が一気に足元へと下がり、上半身へは血液がなかなか供給されないため極度のめまいと立ちくらみに襲われ、体のだるさと強い吐き気でまったく動けない。


起きてきてもしばらくは体が軽快に動けないため、体調が回復するのを待っていると結局時間はもう夕方の4時5時・・・と、健康的な日常のサイクルとはかけ離れた生活を送っていたため、太陽の光を浴びることもなく、この頃の長男君の顔色は、とっても不自然な「土気色」になってしまっていました。

さらにその頃の長男君は、「学校に行けてないのに」という彼自身が感じてしまっている罪悪感と「外に出て誰かに会ったらなんて思われるか・言われるかが怖い」という恐怖心から、人と接することを極度に拒絶するようにもなっていました。


あらゆることに自信を失ってしまっていた彼に、「あんたは自分を何も責めなくていい。人と会う時だって、外を歩く時だって、常に顔をあげて堂々としていていいんだよ」という言葉を度々かけていましたが、長男君が一度抱いてしまった気持ちの落ち込みはなかなか回復せず、その時はただただ、彼にこれ以上の精神的負担をかけないよう家族で根気強く見守っていくことしかできませんでした。


彼にとっては毎日が、「自分自身との壮絶な戦い」だったのだと思います。


・・・その後、自らに突き付けられた様々な課題に長男君は悩み・苦しみながらも地道に療養を続け、約1年の月日が経ちました。


この頃になると、長男君自身も自分の持つ体の疾患とだいぶうまく向き合えるようになり、学校には相変わらず通うことはできませんでしたが、人と同じことをすべて無理してやろうとするのではなく、「今の自分にできることを自分のペースでやっていけばいいんだ」ということを素直な気持ちで受け入れられるようになっていきました。


起立性低血圧症は一度発症すると、症状が重度の場合、通常の学校生活に戻れるようになるには少なくとも2~3年はかかることを覚悟した方がいいという医師の話を聞いていたのと、長男君の様子を見た感じでは、中学校在籍中の復帰は限りなく難しいかもしれないという状況でした。  

家の中で過ごす果てしない日々。

私は長男君に少しでも外の気持ちいい空気を吸わせてやりたいと思い、彼の体調がよさそうな時には買い物に誘い出してみたり、「気持ちいいから庭で一緒にお昼ご飯食べようよ」と声をかけてみたりと、できる限り本人が余計なプレッシャーを感じず、穏やかな心で過ごせるようサポートに努めました。


学校復帰はまだまだ望めない感じでしたが、長男君自身もある程度気持ちを割り切って行動することができるようになり、少しだけ外に買い物へ出ることができたりと、本人には明るい兆しが見え始めていました。

家族全員で長男君を温かく支え続けることで、おかげさまで家庭内での関係はとても良好だったのですが、外界で大切な経験をすることができなくなってしまったこの1年間、学校で過ごした沢山のお友達はもちろんのこと、家族以外の人達との交流が極端に減ってしまったことで、色々な意味での視野が狭まっているのは確実でした。

これ以上空白の時間を作って、彼の良い個性を家の中だけに閉じ込めておくのはとてももったいないと感じていた私は、いっそのこと学校への復帰を主体として考えるのではなく、彼が学校へ行かなくても安心して教育を受けることができる何か別な教育方法はないものかと考えはじめました。

・・・しかしここで、わが家を含め、不登校に悩むお子さんがいる家庭にとっては非常に厳しい現実が待ちうけていました。


冒頭でも少し触れましたが、私達が暮らすこの日本においての義務教育方針は、あくまでも「学校に登校し、学校で教育を受ける」ことが主体となっています。


ところが、小・中学校までの9年間は国が子ども達に課した義務教育期間でありながら、学校に通えなくなってしまった子ども達には、残念なことに学校からはその後の教育に関するサポートが一切ありません。


そうなんです。学校復帰が難しい場合、それぞれのご家庭で残りの義務教育をどの様に受けていくのか、自らの足で探さなければならないのです。

子ども達が住んでいる地域には、学校と連携して不登校児をサポートする「適応指導教室」なども存在しますが、正直に言ってしまうと、この施設は子ども達の不登校に関する根本的な問題解決には積極的に取り組んでくださらない、というのが強い印象でした。


学校と連携しているだけあって、適応指導教室に通うことで学校への出席日数を確保できるというお話を先生から勧められましたが、肝心な子どもの気持ちに寄り添えていないこの場所が私個人としては子どものためになるとは思えなかったので、こちらの施設への入室はお断りさせていただきました。



さてさて、何か良い方法はないものか・・・


私はまず、以前どこかで耳にしたことがある、アメリカなどではすでに合法となっている「ホームスクーリング」という教育法をわが家に取り入れられないかと考え、ネットで色々と情報を探してみました。


アメリカで認可されているホームスクーリングとは、「通っている地域の学校が子どもの肌に合わない」「家が遠くて通えない」「学校の教育方針が家庭の子育て方針と合わない」など、理由はご家庭によって様々ですが、子どもを通学させる選択はせず、各科目の勉強や社会勉強&経験すべてを家庭内において両親などが協力して行うというものです。

何時間もかけて検索してみたところ、日本にも数は少ないですがこのホームスクーリングを取り入れているご家族がいらっしゃいましたが、日本ではこのような形での教育方法自体が前向きには受け入れられておらず、世間からは厳しい風当たりを受けることが多いようでした。


まぁこの風当たりに関しては、私はもともと世間体をそんなに気にする方ではないので問題はさほどないのですが・・・(笑)

重要なのは、教育のすべてを家庭内で行うということは、今後子どもが社会に出ていくために必要な物事を、家族が全面的に担っていかなければならないということです。


自宅で教育をほどこすにあたって、義務教育期間が終了した後、将来への土台が家庭内だけでどの程度築けるのかと考えたとき、「私はそこまでできる自信がないなぁ(汗)それにやっぱり、子ども達には家庭という狭い囲いの中だけではなく、もっと沢山の人達と出会い、沢山の経験をしてほしい」という気持ちがあったため、ホームスクーリングは残念ながら断念いたしました。

< 参考ページはこちらから ホームスクーリング (Wikipedia) 

その後、「学校以外の場所で受けられる教育」といった感じで何日もかけて検索をしたところ、「不登校児への支援・フリースクール」という文言を発見しました。


「フリースクール」という文字でさらに深く調べていくと、数こそは決して多くはありませんが、国内各所でそのような施設を個人・NPO法人が立ちあげており、あらゆる理由で学校に行けない子どもたちの居場所を作ってくださる、貴重な学びの場があるということを知りました。

< フリースクールとは・・・(不登校サポートナビ)> 

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このフリースクールと言われる施設に目が留まった理由の1つとしては、日によって体調に大きな波がある長男君の様な子でも、週1日の通学からはじめて、その時の状況に合わせて無理なく通えるという点です。


また、近年では各所のフリースクール団体が学校と連携を取れるようになっており、こちらに通うことで在籍学校への出席日数として加算していただけるとのことでした。


勉強に関しても、遅れをとっている場所からその子のペースに合わせて教えていただけることや、そして何よりも、学校に行けなくなったことで自分の居場所をなくしてしまった長男君に、安心して過ごせる家庭以外の新たな場所を作ってあげることができると思い、その日、長男君にフリースクールへの見学を提案してみることにしました。


(平成28年5月27日 記)​

お話の続きはパート2へ

 

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