
あなたの個性はママの宝物
15 学校教育の体質について思うこと 4

前述したように、身体的問題があって不登校を余儀なくされてしまった子、行動的な問題により学校側から見放されてしまうような子など、子ども達が不登校になってしまうのには本当に様々な理由がありますが、その中でも特に気がかりなのは、そういった様々な精神的ストレスや苦痛などが引き金となり「心の病」を発症してしまった子ども達のことです。
心の病気というものは簡単に表面に出てくることはなく、目に見えてハッキリと確認できる明らかな症状がありません。
心の病のもっとも怖いところは、毎日確実に蓄積していき、気が付いたときにはもう取り返しがつかなくなるような重傷を招いてしまっていることです。
何かしらの理由によって1度心の中に大きな傷を作ってしまうと、それがその子にとっての致命的なトラウマとなり、その後の人生すべてにおいて悪影響を及ぼしてしまう可能性があります。
実は現実に今、学校内で起こった様々な出来事がきっかけとなり、心を大きく病んでしまった子がいます。(以下、彼女のことを「Aちゃん」と呼ばせていただきます)
Aちゃんはわが家の長男君と同級生で、小さな頃からずっと仲良しだった幼なじみです。もともとあまり賑やかで積極的なタイプではなく、どちらかと言えば、とてもおっとりとした性格で常に落ち着きのある雰囲気を持った子です。
学校生活においてはその大人しさゆえに、自分からすすんでお友達に話しかけたり、学級の活動に積極的に関わっていくことはあまり得意ではなかったようですが、それでも彼女は彼女なりに自分ができることをやろうと、あらゆることに一生懸命取り組んでいました。
ところが・・・中学校に入学してから数か月が経ったある頃、校内で、彼女に対する陰険なイジメ行為が繰り返されるようになっていったそうなのです。
「Aちゃんが学校へ行くことに対し恐怖心を感じている」と、Aちゃんのお母さんがとても心配そうに話をしてくれたことがありました。
詳しく状況を聞いてみるとその頃学校では、1部の生徒達がAちゃんと顔を合すたび、Aちゃんに「死ね」などといった暴言を幾度となく浴びせかけていたのだといいます。
日を重ねるうち、次第に校内で「ポツリ」と1人っきりになることが多くなってしまったAちゃんは、学校に関して様々な不安や精神的な苦痛を抱えてはいましたが、それでも「家族に余計な心配をかけたくない」と、毎日重い足を一歩一歩引きずりながら学校へと登校していました。
結果、彼女の心の中に数々の精神的ストレスが蓄積してしまい、「場面緘黙症」や「対人恐怖症」と呼ばれる、とても深刻で致命的な精神的病を発症してしまいました。
彼女に対するイジメが発覚してから、後に精神的な病を発症してしまうまでの数か月間、学校側からの適切な対応はあまりなかったと聞いています。
彼女は「場面緘黙症」を患ってしまったことにより、たとえ学校に登校できたとしても、いざ校内へ入ると極度の緊張や恐怖心から体がまったく動かなくなってしまい、教室には一切入ることができなかったそうです。
また、緘黙症児の症状の1つとして言葉もうま く発声することができなかったことから、先生方には彼女の懸命な意思表示がなかなか伝わらなかったようで、とても悲しいことに先生方はこの彼女の態度を、「人の話を無視してまったく聞こうとしない反発的な生徒だ」という風に捉えていたそうです。
そして、そのうち校内で彼女に声をかけてあげる人物はいなくなり、彼女はただ毎日、学校の廊下にたった一人で立ちすくみその孤独や恐怖と戦っていたのです。
・・・Aちゃんのお母さんは以前より、彼女の精神的な負担を何とか軽減させてあげたいと考え、市の教育サポートセンターや育児相談所などに行き、専門のカウンセラーの方達と共にAちゃんに対し心身のケアを行っていました。
ご家庭の問題を含め学校内で起きていた様々な出来事についても、「辛くて色々大変だけど、がんばって乗り越えて行こうね」と、2人は親子の深い絆で結ばれ前向きに進む努力をしていました。
しかし、そのお母さんでさえも彼女が負ってしまった深い心の傷を救ってあげることはできず、状況がさらに悪化してしまった彼女を見たカウンセラーの方に、「今まで通り学校へ通わすことは非常に危険であり、何よりも、彼女にこれ以上の精神的苦痛を与えてはいけない」とのご指摘を受けたようです。
そして、カウンセラーさんの強い勧めでAちゃんはとある精神医療センターへと入院し、心身の回復に向けて治療を受けることになりました。お母さんは最後の砦にすがる思いで、娘の改善を心から願い精神医療センターへの入院をお決めになったそうです。
Aちゃんの入院後、お母さんから聞かせてもらった彼女が病院で受けている治療方法とは、想像を絶するものでした。
「学校内で、自分のことを理解してくれようとした人がいなかった」と感じてしまっていたAちゃんは、自分自身の存在すらも受け入れることができなくなってしまい、病院で何度も自傷行為に走ってしまうのだそうです。
病院側も万が一の場合を考慮し、「心のケアを優先する前に、まずは彼女の命を確保する必要がある」との判断で、彼女は1日中ベッドに強く拘束され、精神を落ち着けるために劇薬ともいえる強い効果を持つ薬を打たれる日々が続きました。
(※拘束は、自傷行為に走ってしまうAちゃんの命を守る手段なので、病院側に問題はありません)
家族が限られた面会時間に会いに行っても、薬の作用で無反応な状態が続き、Aちゃんの顔からは生気が失われ、廃人のような姿になってしまっていたそうです。お母さんは娘の残酷な姿を見るたびにご自身を激しく責め、心から苦しんでおられました。
精神科の先生は憔悴しきったAちゃんの様子を見て、
時間をかけて彼女の様々な病状が回復し、仮に学校へ復活できるような状態になったとしても、また同じ環境の中へと戻すことは更なる精神的負担をかけてしまう恐れがあるため、退院後は別な教育施設へと移してあげた方が賢明である。
という判断をなさったそうです。
本当に、本当に寂しいことですが、彼女は学校という場所に何ひとつ良いイメージを持つことができない状態のまま、退院後は別な場所で教育を受けることになるそうです。
・・・この一件があってから、息子と同じ学校に通うわが子同様大切にかわいがってきたAちゃんのことを、先生方がいったいどの様にお考えになっているのか、同じ子を持つ親としてご意見を直にお伺いしたくなり、Aちゃんのお母さんに許可を得た上で一度学校へと足を運んだことがありました。
私はAちゃんのお母さんから、一連の出来事についての学校側とのやり取りを色々と聞かせてもらってはいましたが、私個人の考えとしては正直なところ、Aちゃんがこの様な最低の状況にまで陥ってしまったことの原因が、すべて学校側にあるという風には当初捉えていない部分がありました。
今回の出来事に関する学校側からの様々な対応について、先生方に不信感を抱くような思いは多々ありましたが、それと同時に、ここで私が保護者の立場に偏って冷静さに欠ける判断をしてはいけないし、何よりも学校というものが、私達保護者や子ども達にとって悪い印象ばかりを与えるような存在ではないのだということを、一度信じてみたいという思いがあったのです。
また問題の当事者であるAちゃんのお母さんご自身も、一連の出来事を学校ばかりのせいにはしておらず、とても謙虚な姿勢でこの現実を受け止めていらっしゃいました。
この子がこうなってしまったのは、学校だけのせいじゃない。家庭の中にも色々な問題があったし、何よりも私自身が親として未熟だから彼女を救ってあげることができなかったのだ。
と・・・
上記の内容をふまえた上で、Aちゃん親子が学校側にはいったいどの様な姿として映っていたのか、冷静な気持ちを持って先生方からもきちんとお話を伺い、今回の問題についての実態を客観的な立場で確認してみたい、と思ったのです。
ところが・・・
その時先生方から直接お聞かせいただいた、Aちゃんご家族に対する考え方というものは、学校や先生方のことを信頼したいと思っていた私の期待に反する形となって返ってきました。
あの一言は、今でも忘れることができません。学校の一切を取り仕切り、学校においてすべての要となる管理的お立場の方が、こんなことを言い放ったのです。
彼女は「場面緘黙」という病気をうまく使って、周囲からの注目を得ようとしていたのだと思います。私には、Aさんが学校に対し嫌悪感や恐怖心を抱いているようには見えませんでした。だから毎日ちゃんと学校へと足を運んでいたのではないでしょうか。
むしろ、学校にいることが楽しかったのではないかと・・・
それから、あそこは娘さんにも色々問題があると思いますが、娘さんよりもお母さんの方が精神的にどこか病んでいらっしゃるのでは?最近、お母さんの行動を見ているとちょっと普通の状態ではないですよ。一度精神科で見てもらった方がいいんじゃないですか?
親がこうなってしまうとまともな会話ができないし、うちではもう手に負えませんね。
(当日、実際に交わした先生方との会話を抜粋して掲載しています)
・・・人として、もう少し適切な言葉の表現を選ぶことはできなかったのでしょうか。子どもに対する数々の否定的言動はおろか、お母さんに対してまでそのような暴言を投げつけるとは。
「自分の病気をうまく使って、周囲からの注目を得ようとしていた」 だなんて・・・
深刻な場面緘黙症を患い、校内へ入った途端に緊張と恐怖で身動きできなくなってしまうような子が、自分の症状を利用するなんてそんな器用なことができるのでしょうか?
毎日必死に重い足を学校へと運んでいたのだって、決して学校が楽しかったからではありません。本当は辛いけど、「お母さんにこれ以上心配をかけたくない」という切実な思いだけがきっと、彼女を突き動かしていたのではないかと思います。
会話の中でも特に印象深かったのが、先生方は学校で起きた事実を一切認めず、「一連の出来事は、Aさんご家族の親子関係にすべての問題がある」と主張し、学校の良い点ばかりをアピールしていたことです。
加えて、Aちゃんのお母さんがまるで「精神異常者である」と言わんばかりの表現。
学校側がとったこれらの言動を、私は少なくとも良い意味で捉えることはできませんでした。Aちゃんが入院し、本人を含めたご家族が苦しんでおられるという現状を重々知っていながら、平然とした態度でこのような言葉を口にした先生の姿にただ愕然とするばかりでした。
だってそうでしょう?
ここで1度、お母さんの立場になって考えてみてほしいと思います。
大切な・大切なわが子が心の病気を患って入院し、ベッドに拘束され苦しんでいるのです。そんな姿を見て平常心でいられる方が、逆に私は親としてどうかと思います。
学校側にすべての原因があるわけではないにしろ、学校が今回の一連の流れに少しでも関わっているとなれば、お母さんが先生方と話をする際、多少攻撃的になってしまうようなことがあってもそれはおかしな行動ではないように私は思います。
そういったお母さんの心中を察するどころか、「精神的にどこかおかしい」などという、あまりにも無情なその一言が先生方の口から返ってきたとき、私は、この学校の方達と今後信頼関係を築いていくことは難しいかもしれない、と感じました。
また、その時の言葉の表現を聞いた限りでは、「精神病院」というものがどのような場所なのか、先生方はそのきちんとした意味すらも履き違えて考えていらっしゃるのではないか、とも感じました。
私は世間でよく言われている精神科とは、先生方がおっしゃったような、「頭のおかしい人達」が入るような場所だとは思いません。
解決が困難なたくさんの問題を抱え、自分自身を理解してもらえないことにさんざん苦しみ、心のよりどころや自分の居場所がなくなってしまった人達が、本来の自分自身を取り戻すために、そしてその助けを求めに行く場所なのではないかと思っています。
そして最後に先生方は、「私達は、彼女のためにできる限りの手を尽くしました」とおっしゃいました。
その尽くしたという手がどれほどのものであったのかを、現場に直接関係していない私がうかがい知ることはできませんが、ただ、この様な数々の状況をふまえた上で1つだけ悔やまれることがあるとすれば、Aちゃんを学校内で安心して過ごさせてあげるための、もう少し何か良い方法がとれなかったのか、ということです。
学校側が上記のようなことをしっかりと認識していて、「私達は万全な体制を整えているので何も問題ありません」と豪語しAちゃんを受け入れておきながら、Aちゃんがここまでの状態へと悪化してしまう前に食い止めることはできなかったのでしょうか。
仮に、学校でそういう彼女を受け入れることが難しい状況であったのなら、学校で対応できないような状況になっていたのであれば、その時点で真摯な態度をもって保護者の納得がいくような理由をきちんと説明し、Aちゃんのご家族に対してもっと違った形での教育方法を提案しサポートしていくなど、様々な対応ができたのではないかと思うのです。
学校に大の大人がこれだけ沢山いながら、その中に彼女の心をほんの少しでも理解し、受け入れようと思ってくださる先生はいなかったのでしょうか。
たった1人でもいいから、彼女のことを守ってあげようと行動にうつしてくださる大人はいなかったのでしょうか。
校内で彼女に対し、長期間にわたって数名からの陰険なイジメが続いていたこと。新学期が始まっても教室に入ることができなかったAちゃんに対し、お母さんが担任の先生に申し出るまで、教科書すら配布していただけないような扱いを受けていたこと。
そして彼女が、「学校という場」だけに限定された場面緘黙症を患っていたこと。
Aちゃんのお母さんはこれらの事実を度々学校側にきちんと説明した上で、Aちゃんを心配し学校に付き添って行った日もあったようです。
しかし、親が校内に付き添うことを先生から許可していただけなかったこともあり、辛いけど学校にいる間は、先生方にAちゃんのサポートをお願いするしか方法がなかったといいます。
大きな心の病を抱えながら、そして自己表現は決して上手ではないけれど、自分の存在価値を学校の中で何とか見出したかった彼女は、毎日必死になって学校へと登校していましたが、場面緘黙症という深刻な疾患を持つがゆえに周囲の人達とうまくコミュニケーションをとることができませんでした。
それでも、どんなに辛いことがあっても毎日休まず学校へと通い続けていたAちゃんの姿勢は、本当に立派であったと思います。
私は、上記の様な姿勢をあくまで貫こうとする学校の方達に、今後Aちゃんに対して何かしてあげてほしいなどとは思いません。
しかし彼女が、私達の住む地域中学校の大切な生徒であることは紛れもない事実なのですから、義務教育として生徒を任された1責任者として、彼女自身が抱えていた様々な病気についてもっと深い興味を持ち、彼女の心と1度、しっかりとした形で向き合ってみていただきたいものです。
彼女にとって学校というものが、もう少し安心して入っていけるような存在であったなら、ここまでの悲劇には至らなかったような気がしてなりません。
Aちゃんは本来、本当にかわいらしい無邪気な笑顔で笑う、とっても思いやりのある優しくて素敵な子です。
彼女は今病院で、様々な辛い症状と向き合いながら回復に向けて1人で必死に戦っています。彼女が苦しんでいるのを、今はただ黙って見守ることしかできない。この状況がただただ、本当に切なくて仕方がありません。
そしてAちゃんが負ってしまった心の深い傷は、病院を無事に退院できたからといってその後簡単に癒えるものではありません。
Aちゃんはこれからもずっと、場面緘黙症や対人恐怖症と言われるとても深刻な病気と向き合い・戦いながら、長い長い時間をかけて克服していかなければならないのです。
・・・人類とは皆、各々が本当に様々な個性を持った生き物です。
それなのに私達人間は、学校という組織的な場はもちろんのこと、それ以外のどの様な場においても、社会が独自に作り上げた都合の良い一定の「枠」にすべての人間を押し込み、とても悲しいことに、その枠に合わせることができない人達を変わり者扱いし除外しようとする傾向があるように感じます。
知人のご家族達が実際に受けたという学校側のこういった対応は、私には「学校のイメージを悪くするような生徒達はこの学校には必要ない。邪魔者はすべて排除する」と意思表示しているように思えてなりません。
先生が言うことに一切逆らわず、学校が打ち出した教育方針を妨げない、学校で決められたシステムにただ従順な、都合の良い扱いやすい生徒ばかりを 大切に・評価していくことが、学校としての本来あるべき理念なのでしょうか。
学校で起きた事実をありのままに公表することを避け、対象となる1部のご家庭と真摯に向き合いお互いの信頼を回復する努力をしないまま、学校の良いイメージばかりをひたすら世間に押し出すことが、学校の方達にとっては最も大切なことなのでしょうか?
これが日本が定めた、日本が誇る「義務教育」というものの本来あるべき姿なのでしょうか。
私達大人は、子ども達にどの様な理由があろうとも、最終的には学校に戻って過ごすことが一番望ましいという考えを、子ども達の心に強制的に植えつけているような気がして なりません。日本の社会が独自に作り上げたその様な理屈は、すべての子どもに当てはまるものではないと感じます。
辛いし苦しいけど、自分にムチを打ってまで学校に出て行った結果、自力では解決できない数々の困難に直面し、精神や体を大きく壊してその後の人生に大きな支障をきたしてしまう子ども達が実際に存在するのだということを、謙虚に受け止めていく必要があるのではないでしょうか。
子ども達はもしかすると、自分が学校に無理して通い続けることで、いつかどこかで心が折れ、取り返しのつかない危機的状況が訪れることを自分自身の肌で敏感に感じとっていて、それを未然に防ごうとしているのかもしれませんね。
私達大人はそういった子ども達1人1人の心のSOSにもっと早い段階で気づき、真摯に向きあっていかなければならないような気がします。
悲しい不登校児をこれ以上たくさん生み出さないためには、子ども達1人1人の個性を本当の意味でもっと尊重し、引き伸ばしてあげられるような柔軟な教育システムが必要だと思います。そして、私達大人が持つ固定観念そのものも、今後柔軟に変えていく必要があるのではないでしょうか。
親だとか教師だとか、ここではもう、その様な区切りなんて一切関係ないような気がします。役割は違えど、私達大人はこの世界に存在している1人間として、すべての子ども達に対し人生における様々な学びを教え・導いていくという、同じ責任を持った指導者です。
親や教師をすべてひっくるめた私達大人の言動1つで、子ども達は良くも悪くも多大な影響を受けているのだという事実を、私達は自覚しなければならないと思います。
学校側は、「子どもの様々な問題は家庭が主な原因。学校では責任取れない」といって対象のご家庭を無情に突き放すのではなく、義務教育を担う重要な立場として、教育の自由を選ぶことができない各ご家庭の様々な悩みやご苦労を理解し、その背景に寄り添った親身な対応をしていくことが必要だと思います。
そして私達親は、家庭で抱える様々な問題を棚に上げ、義務教育の一環を担ってくださる学校に対し責任を問うことばかりを考えるのではなく、わが子達を健やかに育てていくためには、同じ責任を持った指導者として学校側とどの様に歩み寄っていくのかを、真摯な心で考える必要があると思います。
互いの立場を尊重し・補い合いながら、温かい気持ちを持って、子ども達にとってどの様な教育をしていくことが本当に大切なのかを考えていく、ということが必要だと感じます。
(平成25年8月20日 記)
このページの記事は個人のプライベートに関する内容を多く扱っていますが、真実をありのままにお伝えすることが大切だと考え、対象のご家族から了承を得た上で記載させていただいております。