
あなたの個性はママの宝物
14 学校教育の体質について思うこと 3

パート1・2の記事では、日本社会における子ども達への教育について、私自身の思いを色々と綴らせていただいてきましたが、ここからは学校という場の中で、現実に起こっている様々な問題点についてお話を進めていきます。
パート1の記事の冒頭で私は、様々な理由によってスムーズに学校へ行くことができていない子ども達が数多くいる。というお話をさせていただきました。
私の周囲で実際に不登校になってしまっている子ども達の中には、
◆身体的な問題を抱えてしまったことで、学校に行きたくても簡単には行けない状況に陥ってしまった子ども達。
◆学校で何らかの問題行動を起こしてしまったために、「この様な子は学校では対処しきれない」と、教師達に見放されてしまった子ども達。
◆集団生活の中から数々のストレスや精神的苦痛を受け、身体的症状に加え心の病を発症し、学校や人に対する強い恐怖心を抱えてしまった子ども達。
上記のような理由によって現在は学校を長期欠席しており、それぞれの子が各家庭で様々な治療や療養に取り組んでいる状態です。
さらにこの他にも、もっと違った理由で学校に行けない子達が本当に数多く存在していると思います。
さて、私達保護者は、「小・中学校までは義務教育を受ける必要がある」という法律によって定められた教育システムの中で、先生方を信頼し学校教育の一環をお任せしています。
学校内での生活は、子ども達がこれからの人生を歩んでいくうえで非常に重要な土台作りの場であり、学校は勉強をただ学ぶためだけに存在するのではなく、人と人との関わりを学んでいく極めて大切な場です。
しかしその学校というものが、人生の明るい土台形成のための有意義な社会現場であるどころか、「1部の人間にとっては居心地が良いが、ある1部の人間にとっては苦痛を強いられるただ辛いだけの場所である」といった、学校に在籍する数名の子ども達の人格を著しく傷つけてしまうような、非常に深刻な状況を生み出しているようにも感じられます。
そんな子ども達の人生に関わる重要な場において、1人1人の個性をどの様に受け止めていく必要があるでしょうか?現在不登校になっている子ども達の様々なケースを取り上げながら考えていきます。
まずは、わが子のように、何かしらの身体的な問題を発症し学校へ行くことができない子ども達に関してですが・・・
こういう子たちの場合、体調の悪さから徐々に学校を欠席するようになり、親もその体調の変化が目に見えて分かりやすいことから、医師の診断を受け、ある程度早い段階で症状に気づき治療に取り組むことができるため、比較的その後の対応がしやすいのではないかと思います。
とは言え、病状が発症した初期の段階で本人は辛くて親や先生などにきちんとその旨を告げているはずなのですが、肝心な大人達は大抵、「自分に甘えて、ただダラダラしたいだけなんじゃないのか」「少し調子が悪いくらいで弱音を吐くな」、「みんな辛いけど頑張っているんだ」などと、本人の体調や気持ちを優先してあげず、厳しい対応をしてしまいがちな傾向があるようです。
これはわが子を見ていて私自身も実際に感じたことですが、親からしてみると確かに、子どもが自宅で過ごしている生活態度を見た時、「学校へ行くことがただめんどくさくて投げ出しているだけじゃないのか」という雰囲気に見えてしまうことがあります。
しかし子ども達は、決してそうではありません。子ども達は子ども達なりに、辛い症状を我慢して自分にできることを精いっぱいやろうとしています。
子どもが何かしらのSOSを発してきたとき、単なる甘えやだらしなさだと軽く受け流すのではなく、それを理解してあげるべき私達保護者や先生方が、できるだけ早い段階で彼らの症状や心の不安などに気づいてあげ、適切な対応 をしてあげることが大切なように思います。
本人からしてみれば、わざわざ好きでこの様な症状になったわけではありません。気力はあるのに身体的な症状がそれを阻み、やりたいことがどんどんできなくなっていってしまうという現実は、彼らが歩んでいく人生の中での、大きな自信喪失や自己否定感に繋がってしまう恐れがあります。
それまでは普通に通学していたのに、「行きたくても行けなくなってしまう」という状況が本人にとってどれほど辛く・苦しいものなのかを、大人の私達がきちんと理解し受け入れてあげることが必要です。
身体的なケアはもちろんのことですが、この時彼らの「心のケア」を怠ってしまうと、後に健在していた気力までもが大きく低下してしまい、取り返しのつかない精神的疾患を併発してしまう可能性が十分にあり得えます。
身体的な問題の場合、回復に向けた様々な治療などによってその症状が次第に和らいでいくことで、学校へ通うことに多少のブランクが生じてしまったとしても、本人のやる気次第で徐々にではありますが社会生活に十分復帰していける可能性があると思います。
ただし本人からしてみれば、療養中には外界との交流が遮断されてしまうこともあり、様々な形で不安や焦り、物事がうまく運ばないイライラ感が生じます。そのため精神面の安定を極力維持できるよう、周囲の人達の様々なサポートが欠かせません。
「周りの人達と同じペースじゃなくてもいい。ゆっくりで大丈夫だよ」と、学校へきちんと通い続けることだけが人生のすべてではないし、様々なことを学べる場所は他にもたくさんあるんだよ。ということを伝えてあげることが大切です。
「自分のペースでコツコツと取り組んでいけるような環境を作ってあげる」ことが大人の私達がとるべき最善の姿勢であり、それが本人にとって、今後前へと進んでいくための大きな安心感へと繋がっていくのではないかと感じます。
次に、何かしらの問題行動を起こし、「この子はもう学校で対処しきれない」、「親の教育がなっていない」と学校側から見放されてしまうような子ども達のケースについてですが・・・
(上記、あるご家庭のお子さんが学校側から実際に告げられた文言をそのまま表現しています)
確かに、学校を含めた様々な所で問題行動を起こしてしまうような子どもが育つ多くの原因は、「親の育て方にある」ということは、紛れもない事実だと思います。
子ども達は、生まれてから社会に飛び出していくまでの数年間、人生におけるほとんどのことを親から学んでいるのですから。
しかし私はここで、問題行動を起こすその原因が、親にばかりあると決めつけてしまってはいけないような気もするのです。親に 限らず、子ども達を取りまく様々な環境もまた、子ども達にとても大きな影響を及ぼしているのではないかと感じます。
親元を離れ本格的な社会生活を送ることになる小学1年生の頃からは、義務教育として1日の大半を学校で過ごさなければならない子ども達にとって、学校というものは日常生活の中心とも言える存在です。
さらに、学校に関わるすべての教育をお任せしている先生方の存在というのは、この時期の子ども達にとっては、もしかすると親よりも多大な影響力を持っている場合があると言えるのではないでしょうか。
学校内で定められた様々な規則や、先生方が子ども達に投げかける何気ない言動の1つ1つが、子ども達の心の中でどれだけ大きな幅を占め大きな影響を及ぼしているのかということも、ここで改めて考えていく 必要があります。
教育現場においては「組織のルールである」という理由で、生徒1人1人の個性を尊重せずに、子ども達を頭から制圧するような、様々な形式に捉われた窮屈な空間がとても多いように感じます。
子ども達は学校のルールに則り、自分自身の個性を極力抑え周囲に一生懸命溶け込もうと努力をしますが、決められた形に全員が順応できるわけではありません。
特に、環境に上手に馴染めないような子どもは周囲の輪の中から浮いてしまい、クラスメイト達から相手にされなくなったり、先生からより厳しい指導を受ける等のとても辛い状況に追い込まれてしまいます。
学校内に相談できる相手がいないこともあり、誰からも理解されずあらゆる孤独感やストレスを1人で抱え込み我慢しすぎた結果、抑えていた気持ちが一気に噴き出し、その反動で周囲に攻撃的な一面を見せるようになる場合があります。
また世の中には、家庭における子どもへの教育を含め、学校教育においても、「子どもに過剰な期待をかける」「できる子がより高く評価される」という傾向がまだ根強く存在しています。
世間の評価をとても気にするようなタイプの子ども達は、「親や先生に認めてもらいたい。期待に応えたい」という理由から、優等生やクラスのリーダー的存在になる子が多いようですが、実は心の裏では、良い子 を演じていなければならない現実に強いストレスやプレッシャーを感じていることがあるようです。
そのような子達は特に、大人から低い評価を受けてしまうことをとても恐れています。そのため本来の子どもらしさや本心をなかなか親や先生にさらけ出すことができず、心の中に満たされない・スッキリしない気持ちを溜めこんだ結果、行き場のなくなったイライラやストレスを、自分よりも弱い立場の誰かを傷つけることで解消します。
こういったイジメ行為はほとんどが大人の見えない所で行われているため、保護者や先生方が気付くことは非常に難しく、しかし問題が公になった時には取り返しのつかない事態になってしまうことが多いようです。
上記はほんの1例にすぎないと思いますが、問題行動を起こしてしまう子ども達というのは、各々の家庭環境や学校という集団社会の中で、常に何かしらの精神的ストレスにさらされながら日々を過ごしているのです。
私達大人は、子ども達が置かれている様々な状況やその心理を、もっと子ども達の目線に合わせて考え、問題行動の原因となる根本的な部分を真剣に見つめ直していかなければならないのではないでしょうか。
私は、子ども達のお年頃による「反抗心」、そして度々起こす「問題行動」というものは、決してその子自身が悪いことをしたくて、悪い子になりたくてやっているのではないんだと思います。
もしかすると、その様な行動を起こしてしまう子達の心の根底には、ただ純粋に「自分自身をありのままに受け入れてほしい」、そして周囲の人達からの「温かい愛情がほしい」という、上手く表現することができない自分の寂しさや心の叫びがこめられているのではないかな、と。
とっても不器用だけど、それがその子なりの、周囲に気持ちを伝えるための精一杯の表現方法なのかもしれません。
身体的な問題を抱える子や行動的な問題を起こす子など、表面的に現れてくる形は色々ですが、それぞれの子ども達が、自らに与えられた様々な環境の中でたくさんの心因的不安要素を抱えながらも、精一杯その場に適応していこうと努力をしているんですよね。
人と人との繋がり を良い関係で保っていくためには、そしてあらゆる場所で集団生活をスムーズに送っていくためには、各個人にある程度のルールを守ってもらう必要性は確かにあります。
しかし、社会が作り上げた一方的なルールや世間体にばかり捉われ、それを子ども達に強要するのは、大人の身勝手な都合でしかないような気もします。
我々大人が教え導いていく中で、時には子ども達が発する心の声を、謙虚に受け止めてあげる寛容さも必要なのではないでしょうか。
(平成25年6月26日 記)
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