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あなたの個性はママの宝物

​11 次男くんの個性 アスペルガー症候群 3

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さて、前ページの内容を詳しく読み進めていくと、すべての内容がピタリと一致するわけではありませんが、これらの特徴の多くに次男君の性質が当てはまることが分かりました。

さらに、今回このような形で様々なテストをしていただき、自閉症という予想外の診断結果に少々驚きはしたものの、同時に、私が今まで次男君を育ててきた中で、彼自身の幼少期からの様々な行動について腑に落ちる部分が多々あることに気づきました。

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アスペルガー症候群のような自閉症タイプは、「一見自閉症にみえない自閉症」と言われているように、知的な障害はほとんどなく、普段の生活の中で簡単に見極められるものではありません。発見するのが本当に難しいところがあります。


特に次男君くらいの年頃の子は、うちの子に限らず自閉症に定義されているような行動をする子は結構いますしね (;^ω^)


実際次男君だって、今回この様な形で体調を崩すことがなかったら、日常の中で彼の症状に気づくきっかけもなかなか訪れなかったのではないかと思います。もっと発見が遅れていたら状況はさらに悪化し、最悪な場合は二次障害にまで至っていたかもしれないのです。


ですので次男君の今後を考えたなら、このタイミングでアスペルガーだと診断されたのは幸いなことだったのかもしれません。


・・・しかし正直な所、結果を聞いた当初は私自身もこの事実をどう受け止めようか、また今後日常生活の中でどの様な対応をしていけば良いのか、学校へはどのタイミングで何と説明をしようかなど、色々なことに対して悩んだり・葛藤を繰り返しました。


今早まって学校の先生や生徒達にこの事実を説明したところで、周囲にいる方達すべてが温かく受け入れてくれるとは限りませんし、きちんとした理解も得られてない状態で次男君をまたクラスに戻すと、さらなる体調不調を引き起こすのでは・・・とも感じました。

またそうは言っても、これまでは普通の学校で皆と同じように過ごしてこれていたわけだし、それこそ今までと変わらず、単純にこれが次男君の持つ「性格」であると捉えて、今後あえて特別な対応をしていく必要はないんじゃないのか、と考えてもみたり。


それとも、告げられた診断名を親の私達がまずしっかりと受けいれ、わが子がアスペルガー症候群であるということを理解した上で今後の対応を少しずつ変えていったほうが良いのか、とも考えてみたり・・・。


様々な思いが私の中に渦巻いていました。


そんな感じで色々と思い悩みましたが、冷静になり改めて次男君が置かれている現状況を見つめた時、私はやはり、これまでとまったく変わらない生活を送り続けていったのでは、きっと今後この子自身にかかっていく負担はますます大きくなっていくことが明らかなように思えました。


家庭においても・学校においても、何かしらのサポートは必要になってくるのではないかと。

特に、1人1人の個性をのびのびと伸ばしていくことよりも、集団意識や行動を常に重んじる日本の学校教育の体質において、次男君のような子は、大きなハンディキャップを背負ってしまうような気がします。


クラスの中で、与えられた課題を上手くこなせなければ叱咤されることも多く、また皆と同じ行動ができなければ輪の中からはじき出されることもあり、他の子と考え方の感覚が違えば浮いた存在となり変わり者扱いされてしまう。


うちの子に限らず、少々個性的な特徴を持つ子達などは、学校での居場所がどんどん減っていってしまうような気がします。


・・・学校とは確かに、勉強以外にも社会のルールや人間関係を学ぶ大切な場ではあります。この日本という国で、わが子達に様々な教育を施していくために、やはり学校はなくてはならないとても重要な存在であると思います。


学校で過ごす集団生活を通じて、子ども達が学び・得るものは本当に多いと思います。

しかし、私たちが住む日本の教育システムや様々な組織の中には、時としてどう考えても正当とは言えないような理不尽なルールや人間関係も多々存在し、「本当にそれは必要あるのか」と思うようなたくさんの制限があるのも事実で、個々の個性をイキイキと活かせるような場所はとても少なく、誰もがその一定の枠にはめられたシステムの中で自分の個性を抑えながら周囲に溶けこんでいくしか方法がありません。


その結果学校へ行くことで強いストレスを感じ体調を崩す子が増えてきているのも、この世の中の現状です。

カウンセリングの先生からは、「体調が回復したら週に1日の通学復帰から始めて、結果的に5日間学校へ行けるようになればもう問題はありませんよ。発達障害というハンデを持っていようとも、学校という組織の中で社会のルールやお友達同士の人間関係を学ぶことが大事なので、多少は無理してでも行かせてください」とのお言葉をいただきましたが、私は正直、先生が言うその判断が次男君にとって的確なものなのか、先生には失礼だと思いますが少々の疑問を感じてしまいました。


じゃあそれで、仮に次男君が5日間しっかりと学校へ復活できるようになったとしましょう。次男君がそこから楽しく学校へ行けるようになったのかと言えば、決してそうではないからです。

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次男君の場合、学校という場に嫌悪感を抱くようになってからは、自分の中で1つの目標を作り頑張って学校へ行けた日にはその目標が達成できる、という方法をとらないとスムーズに通学することができません。


例を1つ挙げるなら、「今日は学校にがんばって行ってきたら、ママと一緒に次男君の好きなホットケーキを焼いて食べようね」とか。

次男君は4年生の頃から、学校自体に「行けば辛い思いをする」という気持ちを強く持ってしまっているため、お友達との交流や学校生活を送ることに楽しさをまったく感じることができていないのです。


そんな状態で、いくら色々なことを学ぶためとは言え、嫌な思いをしてまで無理に行かせるのはかえって逆効果なのではないかと感じました。

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必死に頑張って学校へ通い一生懸命周りの子達に合わせようとしても、次男君の性質上、上手くできないものは努力をしてもなかなかできるようにはならないわけで、結局クラスの中でまた浮いた存在となってしまい次男君のストレスはさらに増えるばかり。


学校から自宅に帰って来るなり、周囲の目を気にして抑えていた全身のチック症状が一気に現れはじめます。


そして、「学校に行くと何だかすごく疲れる。自分自身が嫌になって胸が痛い」と言って気持ちはさらに落ち込み、彼の自己肯定感はどんどん下がっていく一方です。


・・・だったらいっそのこと、一般学校へ辛い思いをしていくよりも、それ相応の対応をしてくださる学校へ転校した方がいいんじゃないか、と思うところもあります。


クラスの中で、皆と少し違う自分の存在に大きな違和感を抱いてしまっている次男君にとっては、この環境の中で皆と同じような人間関係を築き上げていくことは、少々過酷なのかな、と。


現在の次男君を取り巻いている周囲の環境は、次男君にとっては苦痛なだけの世界なのかな・・・と。

今回の出来事に関して、校内やクラスで目に見える明らかな「いじめ」というものが存在していたわけではありません。


次男君がこの様な状態に陥ってしまった原因は、決して周囲の人達の「悪意による攻撃の結果ではない」と信じたいです。

次男君のような独特な個性を持っていないクラスメイト達は、彼にこのような発達障害があること自体をまだ知らされていないので、日常生活の中において、単純に次男君の言動を不思議に思ったり理解しがたいと感じている子が多い、というのが現状なのではないかと思います。


学校生活の中で皆と同じ行動をとれなければ「何でこれくらいのことが出来ないんだ」と思われることもあるでしょうし、周囲の空気をうまく読み取れず、結果その場の雰囲気を乱してしまう次男君に「もっと空気読めよ」とか、「自分勝手でウザい」と発言してみたり、彼に好ましくない態度で接したりしてしまうのは、きちんとした事情を知らない状況下では、ある程度仕方のないことだったのかもしれません。


しかし、そもそも人には様々な個性があり、その個性が仮に自分とはまったく異なる性質のものであったとしても、対象者を真っ向から否定するような言動をするのではなく、あらゆる状況において「受け入れる努力をしていく」ことが、人として大切なことだと思います。


また時として、周囲の人達のこういった無知識からくる自覚のない・何気ない言動のひとつひとつが、悲しいことに、受けた側の人間の心を大きく傷つけてしまうという現実があります。


たとえそれが、確かないじめ行為ではなかったのだとしても。

その様な背景を色々ふまえ、今後皆と同じ環境で学んでいく上で彼の個性をスムーズに受け入れてもらえないのであれば、非常に寂しくはありますがその時にはやはり、「彼にはこの様な理由があって、みんなと同じことがなかなか上手くできない」ということを、ちゃんと理解して接してもらう必要が出てくるのではないかと感じています。


ただし、これに関しても難しい課題が1つ残ります。


仮に、クラスメイトの子達に「次男君は独特な性質を持っているから、できるだけ温かく見守ってあげてください」と理解や協力を求めた場合、その後周囲の理解を得られた次男君が相変わらず自由奔放に、周囲とは違った感性で独自に振舞う行動をクラスメイトの子達が見ていたら、「なんでこの子だけがそういうことをやっても許されるの?」という、納得がいかない部分もきっと出てくるのではないかと思うのです。


結果、次男君への対応が、事情を説明する前よりもさらに悪化してしまうということも考えられます。​・・・色々考えると、様々な問題がたくさん出てきます。


双方の関係性を、慎重かつ冷静に見定めながら行動に移していかなければならないと感じています。


長々と綴ってきましたが、次男君にある種の発達障害があることが分かった以上、この子が一般の学校へ通い続けるためには、今後様々な方面で周囲の方達のご理解とサポートをいただかなければ、スムーズに事が運ばないこともたくさん出てくるのではないかと思います。


ですので、そのために今後何かしらの支援が必要とされるのであれば、周囲の方達に上手に甘え、そして頼るべき時にはスマートに頼っていけるよう、親である私達も積極的に動いていきたいなと感じています。

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次男君の場合、発達障害を持っていることによって、社会性を学んだり・人とコミュニケーションをとることが周囲の人達より苦労することは大いにあるのかもしれませんが、その一方では、ごく普通の人達と同じような生活を送っていくことに問題はほとんどありません。


なので、周囲の子達よりも多少苦労する出来事が多かったとしても、自閉症というひと言でこの子への対応をハッキリと区別していくのではなく、何だかんだ言っても、今後もできる限りは今までと変わらぬ環境の中で学ばせていってやりたいな、と思うのが今の私の正直な気持ちです。

私は何よりも、次男君に、これからの毎日をのびのびと楽しく・自分に自信を持って過ごしていってほしい。

私からしてみれば本当はね、彼が自閉症であるとかそうでないとかなんてさほど重要なことではないんです。


どの様な性質を持っていたって、次男君が私にとっての、かけがえのない宝物であることに変わりはないのですから。私はただ、次男君が明るく健やかに育っていけるよう、全身全霊で彼をサポートしていってあげたいだけなんです。

彼が大きく成長していくための、様々な道しるべを示してあげること。それが私達親の大切なお役目なんですよね。


でこぼこな道も多いかもしれないけど、これからも彼にとっての尊い学びとなる様々な道を、次男君と共に探求しながら、楽しく・前を向いて歩いていきたいなと思っています。


 

​平成25年4月。おかげさまで、次男君は小学6年生になりました。


私は、この新たに始まる学期に合わせて前々から自閉症についての様々な情報を集め、心の準備をしてきました。


そして今回、次男君のクラスの担任になった先生に、彼がアスペルガー症候群という発達障害を持っていることをご報告させていただきました。


小学校生活最後の1年間。きちんと先生に次男君のことをご理解いただき周囲の方達のご協力をお願いしながら、次男君の心に残る素敵な思い出を作っていってほしいから。


また、今後必要があれば、同じクラスの生徒達やその保護者にも説明をして、次男君の「個性」をきちんと理解してもらおうと思っています。


さてさて、肝心な次男君の現在の様子はどうかと言いますと・・・


とりあえず新学期が始まってからは、何とか休まずにがんばって学校へ通っていましたが、それもあまり長くはもたず(汗)、日によって気分が優れない時にはちょくちょくお休みすることがあります。


クラスが変わり、新たな環境で神経を使っているのでしょうか、家ではチックがたくさん出ています。チック症状は現在、次男君の心の状態を分かりやすく表してくれる健康バロメーターのようなものになっています。

学校へきちんと行けた日は、相変わらず家に帰ってくるとグッタリとした表情で「今日もすごく疲れた~」と、リビングのソファになだれ込む毎日です(苦笑)


自宅では、自分が抱えた様々なストレスを発散させようとしているのか、いつにも増して言動が乱暴になり、兄弟達と度々衝突することもありますが、気がつくとゲームを一緒にやってゲラゲラ笑ったりなんかもしています。



感情の起伏は、相変わらず激しいです。それに合わせて、アクロバティックな動きも相変わらず激しいです (笑)


融通が利かないところもたくさんあります。場の空気が読めず、周りから冷めた目で見られてしまうことも度々あります。


予定していた通りにことが進まないと、すぐにかんしゃくを起こして騒ぎます。1度グジグジ始まると、収集がつかなくてとってもめんどくさい時もしょっちゅうあります。


だけど、それでも次男君は、今日もとても元気です!

ママは、そんなありのままの次男君のことが、いつも・いつも大好きです。

色々大変なことがあっても、ニコニコと輝く素敵な笑顔で笑っている、そんなかわいい次男君が大好きです!


(平成25年5月 記)


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