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あなたの個性はママの宝物

​9 次男くんの個性 アスペルガー症候群 1

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わが家の次男君は、心がとってもピュアな優しい子です。

動きが少々アクティブで、彼の予測不可能な行動に頭を痛めることはしばしばありますが (笑)、家族の中で1番笑顔が輝いている、わが家のムードメーカーです。

次男君は小さな頃から、彼独特の感性や世界観をもっている子でした。そのため、周囲のお友達やそのママ達からは、「たいちゃんはほんとに面白い子だね」とか、「落ち着きがないよね~」とか「たいちゃんワールドにはついていけない~」なんて言われることがよくありました。


そうは言っても、幼稚園や小学校低学年の頃は次男君が持つこの独自な性格も、先生や周囲の方達に苦笑いをされることは多少あっても、「男の子ってきっと、こんなものよね」という感じで、お友達関係などにも特別支障はなく、ごくごく普通に年月を重ねてきたのです。


 

ここから先の記事は、次男君と周囲との間に様々な異変が起こり始め、その後「高機能自閉症(アスペルガー症候群)」と診断されてから今日に至るまでの経過を綴っていきます。

 

平成23年4月。小学校4年生になった次男君。これまで特別大きな問題はなく、すくすくと元気に育ってきた次男君の様子に明らかな違いが見え始めてきたのが、この頃のことです。


毎日学校からの帰宅時に「ただいま~!」と、とっても大きな声と溢れんばかりの笑顔で家に帰ってきていた次男君が、なぜか4年生になって学期を重ねていくにつれ、いつもの元気と笑顔がなくなっていったのです。

私は、そんな次男君の様子を見ていてとても心配になり、「どうした? 今日、学校で何か変わったことでもあった?」と毎度本人に聞いてはみるものの、次男君は「何でもないよ」と暗い顔でひと言だけ口にし、その原因を私に話してくれることはありませんでした。


本人が話したがらないものを無理には聞き出さない方がいいかな、と思った私は、心配しながらも、本人が自分で言ってくれることを待ちしばらく様子を見守ることにしました。


・・・それから、1年くらいが経過したある日のことです。

次男君がいつになく暗い顔をして、泣きながら家に帰ってきたことがありました。


前から次男君の学校での様子が気になってはいたけど「絶対何かあるに違いない」と確信した私は、口を硬く閉ざした次男君に泣いていた理由を根気強く問いつめ、やっと本人の口から事情を聞くことができました。

話を色々と掘り下げて聞いてみると、次男君は思わぬ事実を語りだしました。

 

実は次男君が4年生になってから間もなく、学校のクラスメイト数名から「変わり者」「ウザい」「死ね!」などという暴言を頻繁に浴びせられるようになっていったというのです。


そしてそれらの暴言に加えて、今度は学校内のあらゆる輪の中から次男君だけが孤立してしまうような状況が次第に増えていったのだそうです。

​​

さらに5年生になってからは、自分の誕生月にクラスから出されるバースディカードに「お前の誕生日を祝うヤツは1人もいない」などと書かれてあったこともあり、その日ショックを受けた次男君が担任の先生にそのカードの事実を告げると、先生は書いた生徒達を呼び出して厳しく注意し、今後そういうことがないよう指導してくださった、ということなのですが・・・


これらの事実は、次男君の心の中にすでに大きな傷として残ってしまい、次男君の記憶からは簡単に消えることはないわけで・・・


家で次男君が一連の出来事をはじめて告白してくれた日、彼は私にこう言いました。

​​

自分が生まれたとっても嬉しい日なのに、

カードにあんなことが書いてあってすべてのことが嫌になってしまった。

クラスの子に死ねっていつも言われるし、ぼくは生まれてこなかった方が良かったの?​

と・・・


私はそれらの話を聞き、激しく落ちこむ次男君の姿を見て、本当に大きなショックを受けました。


生まれなかった方がいいなんて、そんなことあるわけないでしょ! 

たいきは、パパとママの大切な大切な子なんだから。どうして今まで、そんなに辛い出来事をママに話してくれなかったの?


と次男君に言うと・・・、次男君は

ママに話をして余計な心配をかけたくなかった。

と言うのです。

​​

ママに、そんな気なんて使わなくてもいいのに・・・この子が苦しかった時に、なんでもっと早く気づいて対処してあげられなかったんだろう。と私は自分自身を深く責めました。



・・・ただ、次男君に話を聞いた後、私は1つだけ気になったことがありました。それは何かと言うと、お友達にこの様なことをされてしまった数々の原因はもしかすると次男君自身が作ってしまっているのでは、という心配でした。


お友達だってきっと、何の理由もなく次男君にだけこういったことをするはずがない、と思ったからです。


私は、次男君にさりげなくその話を少し切り出してみました。「お友達にされたことはとっても辛かったと思うけど、逆に、あなた自身はお友達に何かひどいことを言ったり・やってしまった、ということはない?」と。


しかしその時の次男君は、自身が受けた心の傷で頭がいっぱいだったようで、「自分はそんなこと絶対にしてない」と言い張るだけでした。そんな状態の次男君に、今無理をして色々と聞きだしても仕方がないと思い、しばらくはまた次男君の様子を慎重に見守ることにしました。


上記のような出来事が数々起こって以来、次男君は、学校そのものへ行くことが苦痛になってしまっているようでした。学校で自分からお友達に接しようとすると、いつも「キモい」とか、「お前はこっちに来るな」と言われるので、クラスメイトとどの様に接したらいいのかが分からないと。


自分がなぜ周囲のお友達からそのような対応をされるのか、次男君はまったく原因が分からず、年中そのことについて思い悩んでいました。


それでも次男君はこの数年間、「行きたくない」という理由で学校を休んだことは1度もなく、その後も前向きに学校へと通い続けたのでした。


・・・そんな矢先、5年生の9月頃のことです。

今度は次男君に、身体的な症状が出始めたのです。

自宅にいる時、次男君が頻繁に不自然な瞬きをするようになりました。それに気づいた当初はさほど気にもするようなひどいものではなかったのですが、その不自然な瞬きは日を重ねるごとに悪化していき、ついには顔全体を激しく歪ませるようにまでなっていきました。

同時にその不自然な動きは体のほうにも出始め、いつしか全身が常にピクピクと激しい筋肉運動をしているような、誰が見ても「これはおかしい」と思うようなとてもひどい状態になってしまったのです。


心配になって色々調べてみると、これは「チック」という症状で、精神的なストレスが大きな要因となり発症することがあるようです。そして、次男君はほぼ毎日「頭と胸がすごく痛い」と言うようになり、お腹の調子もとても悪く、昼夜問わず腹痛や下痢をするような状態になっていました。

​​

この子の様子にただならぬ危機感を覚えた私は、その日、「今日は学校休んでお医者さんに行こう」と、次男君を休ませてかかりつけの病院へ連れて行くことにしました。


ところが・・・、本人はなぜか、「嫌だ。絶対学校に行く!」と言って、私の言うことをまったく聞こうとしません。

・・・次男君は小さい時から、「自分がこう」と決めると、テコでも動かない頑固なところがあるので、まずは本人とちゃんと話をして納得させてからでないとだいたいスムーズに動くことができません。


まぁこの頑固な部分に関しては、私も次男君が幼い頃からずっと対応してきているので、そのことで大変な思いをしたことは今までにそうないのですが・・・、今回のことに関しては、そこまで頑なに学校へ行こうとする次男君の気持ちが私にはよく分かりませんでした。


それこそ学校でそんなに辛い思いをしているのなら、1日くらい休んでしまって気持ちを少し楽にしてみるのもいいんじゃないか、とも感じていました。


しかし次男君の性格上、本人の意思を尊重してあげないと彼は絶対に動かない人なので、理由をなかなか言わない次男君にどうしてそんなに休むことが嫌なのかを根気強く聞いてみました。

すると次男君、重い口をやっと開いて、こう言ったのです。

​​

今年は学校で皆勤賞をもらいたいから、何があってもぜったいに行くんだ。

​と。


・・・私は、次男君の言葉に驚きました。


え! 次男君は皆勤賞をほしいがゆえに、毎日こんな必死に頑張り続けていたの!?

たくさん辛い思いをして、体調まで崩しながら・・・!

​​

もし、私が次男君の立場だったなら、たとえその年に皆勤賞をとりたかったとしても、学校でがまんできないような辛いことがあったら真っ先に学校を休む方を優先していると思います。


けど、次男君はそうじゃない。次男君は昔から、自分が心の中で1度決めたことは何があってもやり通す。という強いこだわりを見せる一面があるということを、親である私自身もこの時再認識しました。


次男君から理由を聞き、どうして休みたくないのかを理解することはできましたが、この時次男君に起こっている様々な体の異変を見た限り、そのまま学校へ通学させられるような状態ではありませんでした。


嫌がる次男君を何とか説得し、その日、やっと本人の了解を得て学校を休ませることができました。そして先生に電話連絡をし、事情をお話した後、受話器をきると・・・


なんと、次男君がいきなり大粒の涙を流しボロボロと泣きだしてしまいました。

​​

私は、1日休んでしまうことが次男君にとってよほど悲しかったのかと思い、「皆勤賞取れなくて、すごく残念だよね。だけど今は、たいきの体を治してあげることのほうがママは大切だと思うよ。皆勤賞はまた来年がんばろうね!」と声をかけました。​


すると次男君から、また意外なひと言が帰ってきたのです。

ママ、違うよ。

ぼく今まで、皆勤賞とるために嫌なことガマンして一生懸命がんばってきたんだけど、

ホントは、毎日毎日学校へ行くのがすごく苦しかったんだ。


今日1日休んじゃったら皆勤賞はもらえなくなっちゃうから、

これからは無理に学校行かなくても大丈夫だよね。

これからは、辛い時は学校休んでもいい? 今までずっとガマンしてきたから。

次男君のその言葉を聞いたとたん、私もたまらずに涙が溢れてきてしまい、それからしばらくの間2人でワンワン泣きました。


次男君、やっぱりずっとずっと、たった1人でガマンしてきてたんじゃないの。次男君の苦しさに気づいてあげられなかったどうしようもないママで、本当にごめんね。

だけどこれで、今まで抑えていた本音をやっと吐き出せたのかな。と、私は少しホッとしました。そして「これからは、辛い時には1人で抱え込まないでちゃんとママに辛いって言っていいんだよ」と次男君に言葉を返しました。


・・・確かに次男君は、幼い頃から感情の起伏が激しく、なおかつ場の空気が読めず融通が利かないところはありましたが、私はそれが次男君の性格やひとつの個性であると思って育ててきたので、たま~に対応がめんどくさいことはあっても (笑)、そのことで特別育てにくさを感じたり、育児で苦労をするようなことはありませんでした。


周囲の人達からは、「ちょっぴり変わった不思議な子」というイメージを持たれることもよくありましたが、だからといって、それが原因で周囲から何か意地悪をされたりするようなこともなく、次男君の気持ちを追い詰めるような出来事へと発展することは今まではなかったのです。

しかし、この数年間の次男君を見ていると、彼は、明らかに周囲との関わりの中で自分自身の存在に違和感を抱いており、また学校においても、上手にお友達との人間関係を築くことができない自分がいることにとても苦しみを感じているようでした。

いずれにしても、「とにかく今は次男君の辛い症状を早く軽減させてあげないと」と、早速かかりつけの病院へ次男君を連れて診察に行きました。


そこで先生に、チックや頭痛、胸痛、そして強いお腹の痛みや下痢が続いていることを説明すると、「これはお母さんもちょっと心配だよね。1度大きな病院でちゃんと検査をしてもらったほうが安心かな」ということで、とある大学病院へ推薦状を書いてくださいました。



後日、ご紹介いただいた病院であらゆる検査を受けた結果・・・。

次男君に告げられた診断名。 

それは、「自閉症」というものでした。


(平成25年4月 記)


パート2へ続く


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